ギャラリーに展示された作品を、参加者と触れながら鑑賞する白鳥建二さん(左)=東京都荒川区のOGUMAGで2月17日、吉田航太撮影

 美術館のアクセシビリティー(利用しやすさ)向上が言われて久しい。公開されたばかりの2本のドキュメンタリー映画、「目の見えない白鳥(しらとり)さん、アートを見にいく」(三好大輔、川内有緒共同監督)と、「手でふれてみる世界」(岡野晃子監督)をヒントに、美術館は誰のものか、どんな可能性を秘めているか考えてみたい。

 ◇作品囲み、自分の言葉で話す

 富山県・黒部市美術館の「風間サチコ展 -コンクリート組曲-」。風間サチコさんの巨大な木版画「ディスリンピック2680」を前に、全盲の美術鑑賞者、白鳥建二さん(53)と、鑑賞仲間でアートエデュケーターの佐藤麻衣子さん、川内有緒監督が並ぶ。映画「目の見えない白鳥さん、アートを見にいく」の場面だ。

 「大きいんだけど、すごい密度がある。全部白と黒だけで構成されている」「オリンピック競技場みたいな場所に、重機みたいのがあって、まさに作ってる最中なのか、壊している最中なのか」。2人が言うと、白鳥さんは「ふふふ」と楽しそうに相づちを打つ。

 左側で兵隊の集団が「甲」のプラカードを持って行進し、右側では「丙」や「丁」の顔の人たちがコンクリートと共に、会場に流し込まれる。「今のオリンピックとちょっと重なるよね」「コロナとかでさ、優先される人もいれば、されない人もいたり」

 真っ黒に塗りつぶされた、巨大な競技場の外にはどんな世界が広がっているのか。せめて「もうちょっと明るかったら」と希望を託す2人に対し、白鳥さんは「外はない」と即答した--。

 白鳥さんは生まれつき強度の弱視で、20代半ばで全盲になった。大学生のとき、「見える人」の彼女ができ、デートで初めて美術館に行った。そのときのわくわくした経験が基になっているという。

 美術館に行く楽しみを、ランチに例えて話してくれた。「『時間が来たから何かを食べなきゃ』ではなく、『少しおいしいものを誰かと一緒に食べたいな』。なぜ行くのかと聞かれたら、誰かと一緒に出かける、その場所が美術館なんです」。だから、作品を分からなくてもいい。「あいまいな話をあいまいなまま話してるっていうのがまた心地いいのかな」

 水戸芸術館など、さまざまな場で鑑賞会のナビゲーターを務めてきた。映画に先立って刊行された川内さんの著書「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」(集英社インターナショナル)が本屋大賞のノンフィクション本大賞を受賞し、いっそう忙しくなった。昨年末は週に1度のペースで鑑賞会が開かれるほどだったと話す。

 私生活では友人と鑑賞を楽しむが、当初は1人で出かけていた。気になる展覧会があると美術館に直接電話し、「言葉で説明しながらアテンドしてほしい」と頼むことから始めたが、断られることも多かったという。

 美術館に行き始めて感じたのは、解放感だった。ある日訪れた印象派の展覧会で、案内してくれた人が絵について、「湖だ」と言っていたのに、しばらくすると同じ部分を指して「原っぱだった」と言い始めた。「今では、印象派(のタッチ)だったらありうると分かるけど、そのときはかなり衝撃的でした」。何度も通ううち、小さいころからの思い込みがほぐれていった。「見える人のしゃべってることをいかに信じ切ってたかに気づくわけです。そう言われれば、見えるからといって細かい作業が得意なわけじゃないとか、毎日歩いてる道でも看板が目に入ってないとか、理屈として知っていたことをだんだん実感できた」と振り返る。目で見ることに重きを置く美術館で、視覚が必ずしも絶対ではないと思い至った。「見える見えないっていうのは、もしかすると大したことがないのかな、と。で、そうすると、もう世の中、生きるのがだいぶ楽になりました」

 ◇彫刻に触れて鑑賞

 2月下旬、東京・田端のギャラリー「OGU MAG」で白鳥さんを招いた鑑賞会が開かれた。同時期に公開された映画「手でふれてみる世界」とのコラボレーション企画だ。岡野晃子監督は、イタリアの彫刻家、ジュリアーノ・ヴァンジさんの作品を常設展示する静岡県のヴァンジ彫刻庭園美術館副館長を務める。岡野監督がヴァンジさんから紹介されたのが、映画に登場するイタリアの国立オメロ触覚美術館だった。

映画「手でふれてみる世界」の一場面。ジュリアーノ・ヴァンジ氏の公共彫刻に座る、オメロ美術館の創設者夫妻

 美術館では、誰もが彫刻に触れて鑑賞する。目で見るのではなく、手で素材の感触を感じながら「見る」のだ。「私が彫刻をつくるとき、手はとても重要なのです」。ヴァンジさんは話す。作家もまた、手で感じ取りながら制作していることを映画は伝える。「触察」では視覚のようにぱっと確認することはできない。しかし、作品とより豊かな関係が生まれるのだという。「視覚以外の感覚で出会う世界の存在を多くの人に知ってほしい」と、岡野監督は話す。

 会場に並ぶのは、岡野監督が選んださまざまな素材の彫刻。白鳥さんは、それを参加者と会話をしながら、触察する。指先で、両手で、ときには包み込むようにして、そっと触れていく。北川太郎氏の作品のふくらんだ部分を確かめ、「羽っぽいね。この感じが手に合う」とつぶやいた。

 鑑賞会後の「振り返りの時間」。視覚障害のある女性がこぼした。以前、東京の美術館でガイドヘルパーから説明を受けながら鑑賞していると、何度か「うるさい」と注意を受けたという。2022年、国際博物館会議(ICOM)プラハ大会で採択されたミュージアムの新定義では「博物館は一般に公開され、誰もが利用でき、包摂的であって、多様性と持続可能性を育む」とある。女性の発言を受けて、岡野監督は「これからインクルーシブ(包摂的)であることはますます求められる。日本の美術館も変わらざるを得ないでしょう」と応じた。

 白鳥さんの友人の佐藤さんは今、オランダに滞在している。前職の水戸芸術館では教育普及の担当をしていて、ミュージアムのプログラムを企画運営するアートエデュケーターだ。いわく、オランダの美術館はにぎやかだ。「アムステルダムの国立美術館なんかに行くと、観光客もいれば、電動車椅子の団体、小さな子供もいて、作品の前でおしゃべりをしている」。リッセという街には、むしろ話すことを推奨する美術館まであるという。

 近年日本の美術館でも、対話型鑑賞の日や赤ちゃん連れの鑑賞日などを設けているが、「裏を返せば、他の日はダメということになってしまう。以前、もしやるのなら『今日は静かにする日』をほんのちょっと設けるくらいだよね、と同僚と話したことがあります」。

 会話しながらの鑑賞は「共同作業」のようだと、佐藤さんは言う。補完しあったり、異なる意見を自由に口にしたり、誰かの言葉で考えが変わったり。「『自分の言葉で話していい』って、自分らしくいられるということですよね。自分らしくいられないから、みんなすごく悩むけれど、自分らしくいられて自分が幸せになると、多分、相手のことも幸せにできる」。主体的に話すこと。自分で考える力や、分からなさにも耐えられる力。そんな力を育てることも、美術館はできると信じている。

 間もなく、白鳥さんは初めての欧州旅行へたつ。もちろん、佐藤さんの住むオランダの美術館にも行くつもりだ。

 ◆EXHIBITION

中村貞以「失題」1921年 大阪中之島美術館蔵

 ◇大阪の日本画
 ~4月2日 大阪中之島美術館/4月15日~6月11日 東京ステーションギャラリー

 東京や京都に比べて取りあげられる機会が少なかった近代大阪の日本画を総覧する初めての大規模展です。商工業都市として市民文化を支えに発展した大阪ならではの、個性豊かな作品の数々。昨年開館した大阪中之島美術館が長年かけて収集したコレクションに全国から集まった優品を加え、約150点を紹介します。

 ◇芳幾・芳年-国芳門下の2大ライバル
 ~4月9日 三菱一号館美術館(東京・丸の内)/7月8日~8月27日 北九州市立美術館本館

 幕末を代表する浮世絵師、落合芳幾と月岡芳年。師・歌川国芳の下で腕を磨いた兄弟弟子です。浮世絵が衰退するなか、新聞錦絵など新時代のメディアに活路を見いだした芳幾、最後まで錦絵にこだわり続けた芳年。「最後の浮世絵師」と呼ばれた世代の彼らの画業を、代表作をはじめとする版画や貴重な肉筆画で紹介します。

月岡芳年「藤原保昌月下弄笛図」1883年 北九州市立美術館蔵
高橋由一「鮭」1877年ごろ 重要文化財 東京藝術大学蔵

 ◇東京国立近代美術館 重要文化財の秘密 70周年記念展
 東京国立近代美術館~5月14日

 明治以降の絵画・彫刻・工芸のうち、重要文化財指定作品のみを紹介します。とはいえ、ただの名品展ではありません。今でこそ「傑作」の呼び声高い作品も、発表当初は、新しい表現を打ち立てた「問題作」でもありました。どのような評価の変遷を経て、重要文化財に指定されたのかという美術史の秘密にも迫ります。

 ◇永遠の都ローマ展
 9月16日~12月10日 東京都美術館/2024年1月5日~3月10日 福岡市美術館

 栄えある歴史と比類なき文化を誇る永遠の都ローマ。古代ローマ帝国の遺構群フォロ・ロマーノを見下ろす丘に建つカピトリーノ美術館の所蔵品を中心に、建国から古代の栄光、教皇たちの時代から近代まで、「永遠の都」と称されるローマの2000年の歴史と芸術を約70点の作品で紹介します。

「カピトリーノの牝狼」(複製)ローマ市庁舎蔵 Ⓒ Roma, Sovrintendenza Capitolina ai Beni Culturali / Archivio Fotografico dei Musei Capitolini

2023年3月22日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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