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新型コロナウイルスの感染拡大以降、中止や延期になることが多かった芸術祭が今年は各地で開かれている。海外でも、2年に1度の「ベネチア・ビエンナーレ」(伊ベネチア)や、5年に1度の「ドクメンタ」(独カッセル)といった国際美術展が開催され、注目を集めている。このうち、1895年に始まり、現在まで続く国際美術展のうち最も長い歴史を持つベネチア・ビエンナーレを紹介したい。
◇白人男性中心の美術史、編み直し
コロナ禍による1年間の延期を経て59回目を迎えたベネチア・ビエンナーレ(11月27日まで)。近年では春から秋にかけて、アルセナーレ(造船所跡)と、各国のパビリオンが並ぶジャルディーニ(公園)の2会場を中心に開催されている。
今回は米ニューヨークを拠点に活動するイタリア出身のチェチリア・アレマーニがキュレーターを務め、総合テーマに「The Milk of Dreams(夢のミルク)」を掲げた。ベネチア・ビエンナーレはドクメンタと比較してしばしば、同時代の政治・社会状況を反映していないと言われるが、今回のアレマーニによる国際企画展示は、「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大事だ、BLM)」運動や「#MeToo」運動など、近年の動きと強く共振していた。
「男性中心の芸術の歴史や現代文化を再考するものだ」とアレマーニは述べ、実際に国際企画展の参加作家58カ国・213人のうち約9割が女性を占める。さらに、180人以上はこれまで国際美術展に参加経験がなく、物故作家を多く取り上げたことからも、白人男性が築いた主流の美術史を編み直そうとする姿勢は明らかだ。
全体を通して象徴的な存在が、最高賞の金獅子賞に選ばれた米国のシモーヌ・リー。黒人女性の身体に着目した彫刻は、国際企画展の冒頭と最後に展示され、米国代表として米国パビリオンでも個展が開催された。異文明を現地の住民ごと〝展示〟した1931年のパリ植民地博覧会や、ジャマイカ土産のポストカードなどを基に、白人西欧社会が自分たちの身体や文化に向けたまなざしを変容させ、堂々たる彫刻に仕立て上げた。
もちろん、各国のパビリオンは帝国主義時代の名残でもある。この米国館で行われた展覧会名は、「主権」を意味する「Sovereignty」。皮肉めいたタイトルでもあり、自らの手に主権を奪い返したとも言えるだろう。建築と彫刻と陶芸を行き来するようなスタイルで、釉薬(ゆうやく)を施したドレス姿の女性像は日本人の私たちにとって親しみがある肌合いだった。
国際企画展は、リーの作品がアレマーニの宣言のように置かれて始まる。周囲をキューバの版画家ベルキス・アヨンの作品が取り囲み、次いで、ジンバブエ、アルゼンチン、エリトリア、ブラジル、ベトナム……とアフリカや南米、アジア出身者、そして先住民族にルーツがある欧米の作家が続く。宗教や民間伝承、奴隷制の歴史などを寓話(ぐうわ)的に描いた作品が多く、ビーズをぎっしりと縫い付けたり、パッチワークを施したりと、これまで美術の枠組みの周縁に置かれた手芸的手法を用いる作品も目に付いた。
フェミニズム的文脈を色濃く感じさせたのが、ギリシャ出身のジャニス・ラファの映像作品「Lacerate」。家庭内暴力への抵抗を、17世紀のオランダ静物画のように端正に描き出す。首から血を流す男の姿には、17世紀のイタリアの女性画家で、近年再評価が進むアルテミジア・ジェンティレスキの絵画のイメージも重ねている。ジェンティレスキは、女性として初めて伊フィレンツェの美術アカデミーの会員と認められた画家であり、性的暴行を受けたことも記録に残る。
「夢のミルク」という国際企画展のテーマは、シュールレアリストのレオノーラ・キャリントンが書いた絵本の題名から取ったものだ。想像力を通して、誰もが何にでも変容できる可能性に満ちた世界のことだとアレマーニは言う。終盤に展示される米国の作家トルマリンのおとぎ話のような映像作品では、黒人のトランス女性が夢のなかで力を得て、抑圧の対象を打ち破っていた。
◇日本館に「ダムタイプ」
各国のパビリオン展示も、国際企画展と通底する価値観がそこかしこに見られた。前述の米国館と英国館は黒人女性を初めて代表に選んだ。英国館は、ソニア・ボイスが黒人女性ミュージシャンたちを取り上げたインスタレーションで国別参加部門の金獅子賞を受賞。フランス館はアルジェリアの独立運動や移民の歴史を、ドイツ館はナチス・ドイツとドイツ館の関係を建築からひもといた。
欧州最大の少数民族ロマの歴史を扱ったポーランド館とギリシャ館も話題を呼んだ。それぞれ、イタリアやギリシャの文化が欧州の中心として記述された歴史を再解釈し、ロマの視点から押し広げようとするものだった。
サモアと日本にルーツがあるユキ・キハラはニュージーランドを代表し個展「パラダイス・キャンプ」を開催。ゴーギャンの絵画に描かれたタヒチの女性を、キハラを含む第三の性の人々「ファファフィネ」コミュニティーの人たちが演じ、観光という名の下に現在まで続く植民地主義的な視線をユーモアを交えながら、批評的に表した。
一方で現在進行形の歴史も、ベネチア・ビエンナーレに影を落とした。ロシアによるウクライナ侵攻に抗議し、ロシア館のキュレーターやアーティストが辞任。ウクライナチームは混乱のなか展示を行い、街の住宅にもウクライナの国旗が掲げられているのを見かけた。
日本からは、日本館でアーティスト集団「ダムタイプ」が、国際企画展で笹本晃(80年生まれ)が新作を発表。池田龍雄(28~2020年)や工藤哲巳(35~90年)の作品も展示された。
ダムタイプは音楽家の坂本龍一(52年生まれ)をメンバーに加え、中央に穴が開いた日本館の内部を緊張感に満ちた空間に作り替えた。メンバーの高谷史郎(63年生まれ)いわく、「重要なところが抜けている」日本の状況をこの穴に重ね合わせイメージを展開したという。周囲の壁には、1850年代の地理の教科書から引用した文章を投影。館内を歩いていると、文章を読み上げるざわめきのような声がふいに耳を捉える。
「Where does the Sun rise?」「How many Oceans are there?」と重ねる問いは、小さなスマートフォンの画面に見入る私たちに、俯瞰(ふかん)的な視点と共に内省を促す。
今の政治・社会を色濃く反映し、歴史を編み直そうとした今回のベネチア・ビエンナーレ。それだけに、賞によって優劣をつける旧来型のスタイルが以前にも増して時代にそぐわなくなっていると感じた59回目の展示だった。
2022年9月30日 毎日新聞・東京朝刊 掲載