葛飾北斎「浮絵元祖東都歌舞岐大芝居之図」=すみだ北斎美術館蔵(前期展示)

【展覧会】北斎が描いた江戸の芸能 作品や資料展示東京・両国

文:広瀬登(毎日新聞記者)

日本美術

浮世絵

 葛飾北斎(1760~1849年)が生きた江戸時代後期は、歌舞伎をはじめとする芸能が江戸の街を華やかに彩った時代だった。人気の俳優や話題の舞台は役者絵や芝居絵となって広まり、長唄や三味線などの披露会やおさらい会も各所で開かれた。

 そんな江戸の文化と北斎との関わりにフォーカスした企画展が、すみだ北斎美術館(東京・両国)で開かれている。題して、「歌舞音曲鑑 北斎と楽しむ江戸の芸能」。前後期延べ100件を超える資料をもとに、浮世絵の名匠が描いた江戸の芸能文化を紹介する。

 北斎は19歳で、浮世絵師の勝川春章(1726~92年)に入門、春朗を名乗った。役者絵を得意とした勝川派の始祖である師にならい、春朗も芝居に材を取った。「浮絵元祖東都歌舞岐大芝居之図」もその一つ。タイトルにある「浮絵」は遠近法の一種を用いた絵のこと。天保の改革(1841~43年)で浅草へ移転させられるまで葺屋町(現在の日本橋人形町付近)にあった市村座の様子を、どこか幾何学的な枠組みの中で今に伝える。舞台には破風のついた屋根があり、天井からは成田屋などの役者紋があしらわれたちょうちんが下がる。客席はすし詰め。画面から人があふれるほどの大入りだ。江戸の娯楽の粋たる歌舞伎の繁盛ぶりがうかがえる。

 春朗期の北斎が残した市川鰕蔵(五代目市川團十郎)の役者絵も会場に並ぶ。東洲斎写楽の有名な作品にも描かれている鰕蔵の鼻は、春朗の「市川えび蔵 かけきよ」でもやはり高く大きく強調されており、ユーモラスだ。

 北斎は35歳の頃、勝川派を離れて以降、役者絵を手がけていないとされる。ただ、芸能のモチーフとまったく縁を切ったわけではない。例えば、「摺物(すりもの)」と称される私的な非売品の浮世絵に北斎は携わっている。縦約40㌢、横約50㌢の大奉書を二つ折りにし、片側に絵を、もう片側に音曲の披露会の演目を書き連ねた江戸版「プログラム」。北斎はその中で、三味線に合わせて芸者が舞う座敷や歌舞伎の囃子(はやし)方の楽屋を活写している。

 また当時、庶民にも広まった浄瑠璃のブームを受け、出版されたさまざまな関連書の仕事も引き受けた。『絵本 浄瑠璃絶句』もその一つ。北斎は、聴きどころの詞章につけられた、芝居のワンシーンの絵を担当した。

 ユニークなのは、江戸で盛んだった踊りを取り上げた作品群。例えば、スズメの動きを振りに取り入れた「すずめ踊り」、あるいは丸い厚紙に「悪」と書かれたお面をかぶって踊る「悪玉おどり」。まるで現代のアニメーションのように、人間の身体の動きが一コマ一コマ的確に捉えられており、分析的な北斎の視線が光る。独学者のために出版された踊りの教則本『踊独稽古(おどりひとりけいこ)』の中で扱われた後者を、アニメーション化した映像(アキホスタジオ制作)は、北斎の画業がいかに先駆的だったか改めて教えてくれる。

 前期(4月21日まで)と後期(同23日~5月26日)で、一部展示替えが行われる。問い合わせは同館(03・6658・8936)。

2024年3月31日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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