落合芳幾「東京日々新聞 九百五十一号」(毎日新聞社新屋文庫)

 幕末の人気浮世絵師、歌川国芳(1797~1861年)に師事した落合芳幾(よしいく)(1833~1904年)、月岡芳年(よしとし)(1839~92年)の画業をたどる特別展「芳幾・芳年―国芳門下の2大ライバル」が、北九州市立美術館本館(戸畑区西鞘ケ谷町)で開かれている。浮世絵版画、肉筆画、新聞錦絵など約170点で構成。奇想の精神に満ち、劇的表現とユーモアを兼ね備えた作品世界が広がっている。

 2人の師の国芳は武者絵で頭角を現し、妖怪画、役者絵、美人画、戯画、春画など、幅広い分野で活躍した。育てた弟子は80人以上に上る。門下生の中で河鍋暁斎(かわなべきょうさい)らと並んで盛名を得、ライバル関係にあったのが芳幾と芳年だった。

 国芳の葬儀の席で、兄弟子の芳幾が芳年を足蹴(あしげ)にした逸話が2人の確執を物語るが、初期のころは分担して作品を制作している。歌舞伎や講談の残酷な場面を表した大判錦絵「英名二十八衆句」(66~67年、西井コレクション)がそれ。計28枚あり、2人で14枚ずつ仕上げた。本展では16枚を展示している。共に師匠に引けをとらない画力の高さだが、描写の過激さでは芳年の方が1段上を行く。「英名二十八衆句 団七九郎兵衛」(66年)で描かれているのは、実話を下敷きにした歌舞伎の人気演目「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」のクライマックス・長町裏(ながまちうら)殺しの場。怒りを抑えきれなくなった魚売り・団七九郎兵衛が見得(みえ)を切るかのようなポーズをとり、強欲なしゅうとをめった刺しにしている。体中に彫られた入れ墨が精緻にして色鮮やか。黒みを帯びた血、泥との対比が利いている。女性を逆さづりにして殺害する「英名二十八衆句 稲田九蔵新助」(67年)はさらに凄惨(せいさん)。芳年が得意とした「血みどろ絵」の極北を示す出来栄えだが、画像は新聞では到底紹介できない。

月岡芳年「英名二十八衆句 団七九郎兵衛」(西井コレクション)

 芳年は明治時代に入り、武者から歴史的人物へと題材を広げ、革新的要素を盛り込みつつ、浮世絵を描き続けた。一方の芳幾は東京初の日刊紙「東京日日新聞(毎日新聞の前身)」の錦絵で才能を発揮する。力士が消火を手伝い、電柱を守った美談、オオザメが海中で人をのみ込む話など、題材は現在の新聞のイメージとはかけ離れている。そのうちの一つ、「東京日々新聞 九百五十一号」(毎日新聞社新屋文庫)は俠客(きょうかく)同士の争いをテーマに据える。遊郭で寝込みを襲われながらも相手方をけ散らし、画面中央にヒーロー然と立つのがこの話の主人公たる男性。芝居の1シーンを見るかのような臨場感があり、師の国芳が開拓した大判3枚続きの構図に迫力が凝縮されている。画面左の女性にも注目したい。ぼうぜんとした表情を浮かべ、胸もあらわな姿はどこかユーモラス。シリアスな場の雰囲気をやわらげる役目を果たしている。

 貴重な肉筆画も公開されている。芳年の「宿場女郎図」(77~80年、全生庵(ぜんしょうあん))は遊郭に泊まった際、自身が目撃した幽霊をモチーフにしている。客を手招きするやせ衰えた女性の横顔にはかなさや不気味さが入り交じり、幽霊画の名手としての一面を伝える。

月岡芳年「宿場女郎図」(全生庵)撮影:小平忠生

 芳幾が亡くなる前年に手がけた「布袋唐子図」(1903年、悳(いさお)コレクション)は布袋と3人の子供をやや見下ろす構図で捉えている。布袋の優しい笑顔と、球体のごとく太った体が印象的。布袋に呼応するかのように左に浮かぶ丸い形象は太陽か、あるいは満月か。謎めいた装いが想像力を刺激し、画面全体に漂う穏やかさに心が癒やされる。

 芳幾は生前の評価は高かったが、現在、一般的知名度では芳年に大きく水をあけられている。好敵手として取り上げられた本展を機に、ブランドイメージがアップし、顕彰の機運が盛り上がることを期待したい。本展の開催地は東京と北九州のみ。国芳の代表作や、小林清親ら、同時代を生きた絵師たちの作品も網羅し、充実した内容になっている。

 8月27日まで。北九州市立美術館本館(093・882・7777)。

2023年7月14日 毎日新聞・福岡版 掲載

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