米ニューヨークを拠点に時代を席巻したポップアートの旗手、アンディ・ウォーホル(1928~87年)の大規模回顧展「アンディ・ウォーホル・キョウト」が、京都市京セラ美術館(京都市左京区)で開催されている。美術界で成功する前のイラストレーター時代から晩年まで、幅広い時代の200点を超える作品と資料から、作家が取り組んだテーマや人物像に触れられる。
ウォーホルの大きな題材といえば「大量消費」。スーパーマーケットの商品棚に陳列するように並べて展示された、市販のスープ缶を描いた「キャンベル・スープ」シリーズの作品群(68年)からも読み取れる。ウォーホルは「(スープ缶のような)現代の偉大なものを抽象表現主義の画家たちは見ようとしなかった」という言葉を残している。
大量消費と対をなすのは「大量生産」。63年に構えたスタジオの名前は「ファクトリー」(工場)で、効率のいい複製方法を求めた。代名詞といえる手法「シルクスクリーン印刷」はメッシュ状の布を使う版画の一種。他にも下絵を描き、インクを載せた撥水紙(はっすいし)に吸水紙を重ねて浸透させる「ブロッテド・ライン」(にじみ線)などの技法を用いた。ただ、完全な複製は目指さず、手作業によるズレやミスをそのまま生かした。同館の山田隆行学芸員は、美術史におけるウォーホルの貢献を「一点物が重視される美術界で、オリジナリティーとは何かを投げかけたこと」と解説する。
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ウォーホルは、大衆が憧れのまなざしを向けるハリウッドのスターたちも描いた。マリリン・モンローがモデルの代表作「三つのマリリン」(62年)も出品されている。同年のモンローの悲劇的な死に触発された作品で、主演映画「ナイアガラ」(53年)の宣伝用写真をトレース(敷き写し)して作られた。山田学芸員によると「ウォーホルは色や構図は決めるが、写真のイメージはほとんど改変しない。対象をそのまま受け入れる」という。
56年の日本旅行の資料も、「トレース」を念頭に観賞できる。ウォーホルは注目される前、世界一周の旅に出た。日本では東京や京都などを訪れたが、観光ガイドが紹介するような場所しか巡らなかった。旅先で購入した着物の素材が良いとは言い難いことも含めて「中身よりイメージや象徴性に興味を抱いたのかもしれない。どちらもトレースのように表面をなぞる楽しみ方。後のポップアートにおける題材の選び方や表現にも通じるかもしれない」と山田学芸員。
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改めてポップアートとは何なのか。「モノを好きになること」という言葉を残したウォーホルは、対象に愛情を抱きつつ距離を取り、解釈も批評もせず、そのまま描いた。こうした作風について山田学芸員は、ウォーホル自身が直面した状況に要因があるのではないかと推測する。「移民の貧しい家庭に育ち、同性愛者。鼻の整形など外見の劣等感も強かった。(脚光を浴びてからも)社会の中心にいるようで離れたところから見つめているような存在だった」
この「外様」的な感情が自らをビジネス・アーティストと称させたのかもしれない。山田学芸員によるとウォーホルは「主体性のない作家」で、多くの作品は顧客の要望で描かれた。「毛沢東」の肖像画シリーズ(72年)も、20世紀で最も有名な人物を描いてほしいという依頼で制作したという。
展示の最後を飾るのは、最晩年に取り組んだ絵画シリーズ「最後の晩餐(ばんさん)」(86年)。レオナルド・ダビンチの同名の宗教画が題材。イエスらの肖像に、現代的な記号であるバイクや値札を組み合わせて描写した。中央の文字「ビッグC」は、キリストの頭文字であると同時に、当時のエイズ(後天性免疫不全症候群)への偏見を伴った異名、ゲイキャンサー(同性愛者のがん)を示すとされる。
ウォーホルはキリスト教の東方カトリックの熱心な信者だったが、同性愛は一般に教会に受け入れられるものではなかった。聖と俗が混在する画面の奥には、信仰への複雑な思いが込められているのかもしれない。2月12日まで。月曜休館(1月9日は開館)。同館(075・771・4334)。
2023年1月4日 毎日新聞・大阪夕刊 掲載