<1>「古今珎物集覧」一曜斎国輝筆 明治5(1872)年=東京国立博物館蔵(通期展示)

 東京・上野の東京国立博物館で、東京国立博物館創立150年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」が開催されている。展覧会の意義や見どころについて、日本の博物館の成り立ちに詳しい木下直之・東京大学名誉教授(文化資源学)に寄稿してもらった。

 東京国立博物館が生誕150年を迎えた。150年という数字は、明治5(1872)年に湯島聖堂で開かれた博覧会を起点としている。閉幕後に博物館を名乗ったからだ。

 その最初(<1>「古今珎物(ちんぶつ)集覧」)と最新のチラシ(<2>)を見比べると、何が変わらず、何が変わったかがわかる。前者の中心に名古屋城の天守から下ろした金鯱(しゃち)があり、後者の中心には本館の大階段(テレビドラマ「半沢直樹」でおなじみ)があるというだけでも、語るべきことはたくさんありそうだ。

<2>特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」のチラシ

 金鯱をはさんで右側には動物の剝製が、左側には衣服や武具や楽器などの諸道具が並び、背後は絵画が多い。その総称が「珍物」だった。

 この描き分けは博覧会の展示をほぼ正しく伝える。それまでの博覧会は自然物の比重が大きかった。鉱物、植物、動物=天造物と並んで、付け足したように人造物が展示された。この変化は、廃仏毀釈(きしゃく)に直面した政府が「古器旧物保存」を命じたことの反映だった。それは今日の文化財保護へとつながっている。

 大階段は博物館の象徴だった。平成館ではエスカレーターに取って代わられたが、別世界への入り口だ。上った先に同館所蔵の国宝89件(<3>)が待っている(第1部「東京国立博物館の国宝」、ただし陳列替えあり)。

<3>国宝 檜図屛風 狩野永徳筆安土桃山時代・天正18年(1590)=東京国立博物館蔵(27日まで展示)

 「国宝」は150年前にはない言葉だった。本来は優れた人物を意味したようだ。明治30年の古社寺保存法に盛り込まれ、「歴史の証徴または美術の模範となるべき」宝物が国宝とされた(第4条)。

 それに合わせて、博物館は古美術を見せる場所へと大きく舵(かじ)を切る。関西の古社寺を中心に宝物調査が進み、その成果は日本美術史としてまとめられた。いったんは見捨てられた仏像が、彫刻芸術として復権した。

 博物館を訪れるだけで、日本美術に、それも皇室を中心とした日本文化にふれることができるようになった。東京に続いて奈良と京都に開館した博物館がいずれも宮内省の下に置かれ、帝室博物館となるのはこのためだ。

 当然、鉱物、植物、動物の肩身は狭くなる。もともとは大英博物館のような総合博物館を目指した。初代館長となる町田久成は元薩摩藩士、幕末に英国に渡り、ロンドンに暮らしたからミュージアムをよく知っていた。日本語の「博物館」という名乗りには、物を通して博(ひろ)(広)く世界を知ろうという意欲がある。したがって、自然物ばかりでなく、歴史資料や民俗資料も集めた。生きた動物の展示さえあり、それが現在の上野動物園にほかならない。

 明治40年春に初めて日本にやってきたつがいのキリンは一躍人気者となり、皇居で天覧にも供されたが、寒い冬を耐えられず、年が明けると相次いで死んでしまった。すぐに剝製にされ、帝室博物館で展示された。しかし、関東大震災を機に自然史部門が切り離されると、剝製や標本は現在の国立科学博物館へと移された。それが100年ぶりに里帰りを果たし(<4>)、かつての博覧会場のように、珍物、いや国宝とともに並んでいるだけでも、第2部「東京国立博物館の150年」は見逃せない。

<4>約100年前に展示されていたキリンの剝製標本(国立科学博物館蔵、通期展示)
=東京・上野の東京国立博物館で10月26日、手塚耕一郎撮影

 ◇75年後の大転換
 しかし、この博物館のもっとも大きな転機は誕生から75年後に訪れた。昭和22(1947)年5月3日、新憲法の施行に合わせて、帝室博物館(インペリアルミュージアム)は国立博物館(ナショナルミュージアム)と名を変えた。憲法第88条が「すべて皇室財産は、国に属する」としたからで、国民博物館と呼んでもよいぐらいの大転換だった。本展が振り返る150年のちょうど中間点だというのに、このことはあまり注目されていない(『国立博物館ニュース』創刊号は平成館1階の別室にひっそりと展示していた=現在は終了)。

 そして、「普賢菩薩像」を皮切りに、同館所蔵品の国宝指定が始まる。それまでは何ひとつ国宝に指定されていなかったと聞けば意外に思うかもしれないが、それらは天皇の宝物=御物であり、わざわざ国宝にする必要はなかった。それどころか、国宝を収蔵すると、指定を解除したというのだから驚いてしまう。

 昭和25年に制定された文化財保護法が国宝をつぎのように定義し直した。「重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの」(第27条2)

 すなわち、大階段の先に待っている国宝は、拝みにゆくよりも気軽に会いにゆくものとなった。それに応えて、何年か前には本館に国宝室が設けられた。

 近年の「刀剣女子」たちの熱い眼差(まなざ)しに接すると、いっそうその思いはつのる。刀剣こそ宝物の最たるもの、古墳時代から権力の象徴であり、「国民の宝」の対極だったはずだ。私の知る本館の刀剣展示室は足早に通りすぎる部屋だった。いつも、ひと握りの刀剣マニア(多くは中高年男子)だけがじっと佇(たたず)んでいた。今は違う。初めはゲーム「刀剣乱舞」がもたらした一過性のブームかと思ったが、刀剣を見る目は確実に育っているようだ。

 同館はつぎの150年にも目を向ける(本館では記念特集「未来の国宝」を開催中)。その未来は容易に想像し難いが、「刀剣女子」の登場を思えば、これからも古器旧物・珍物・宝物・国宝と呼ばれてきたものとの新たな関係が生まれることは間違いない。それを可能にする場所として、博物館は必要だ。

木下直之・東京大学教授

PROFILE:

木下直之(きのした・なおゆき)氏

1954年、浜松市生まれ。静岡県立美術館長。著書に「美術という見世物」「動物園巡礼」など。

INFORMATION

特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」

<会期>12月11日(日)まで。月曜休館。開館時間は午前9時半~午後5時。木~日曜、祝日は午後8時まで(11月13、20、24日を除く)。会期中、一部展示替えあり。
<会場>東京国立博物館 平成館(東京都台東区上野公園、JR上野駅・公園口徒歩10分)
<観覧料>事前予約制(日時指定)。一般2000円、大学生1200円、高校生900円。中学生以下無料。※障がい者とその介護者1人は無料(事前予約不要)
     チケットおよび最新情報は展覧会公式サイト(https://tohaku150th.jp/)で。
<問い合わせ>050・5541・8600(ハローダイヤル)
<主催>東京国立博物館、毎日新聞社、NHK、NHKプロモーション、独立行政法人日本芸術文化振興会、文化庁
<協賛>JR東日本、大伸社、大和ハウス工業、三井住友銀行、横河電機、横河ブリッジホールディングス

2022年11月11日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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