近代日本を代表する実業家の一人、川崎正蔵は川崎造船所(現川崎重工業株式会社)や神戸新聞社などの創業者として知られるが、希代の美術品収集家でもあった。彼が創設した今はなき美術館と、散逸してしまったコレクションの全容に迫る必見の展覧会である。
5章からなる展示では、まず川崎の実業家としての活動が神戸との深い関わりとともに語られる。続いて全国から集められた優品により、収集家としての川崎の活動が示される。作品を収める共箱に貼られたラベルやコレクションをまとめた豪華な図録など、川崎がコレクションをどのように分類し保管していたのかを伝える資料が置かれ、収集家が作品を愛(め)でる実際の様子を想像できるのもうれしい。
日本で初めての私立美術館である川崎美術館は明治23(1890)年に開館した。公開は限定的だったということもあってか、館内の様子は明らかでない。そうした中、今展では具体的な様子が判明した一画の再現展示が行われている。ここでは円山応挙による襖(ふすま)絵に囲まれながら往時を偲(しの)ぶという贅沢(ぜいたく)が味わえる。
川崎の活動は作品収集にとどまらず、同時代の美術の振興にも及び、特に注目すべきものとして中国・明代の七宝焼の再現・模倣に尽力したことが紹介される。宝玉七宝と呼ばれるその成果はパリ万博で高評価を得、凱旋(がいせん)帰国した品は皇室に献上された。海外でも通用する美術工芸品を生み出そうという意欲はいかにも明治の偉人である。明治天皇の神戸行幸に際しては進んで自らのコレクションを用立てたともいう。
展覧会の結びでは、絵はがきや売り立て目録などにより川崎正蔵没後にコレクションがたどった運命が略述される。川崎が最も大事にしたという逸品、伝顔輝(がんき)筆「寒山拾得(かんざんじっとく)図」がここにおいて紹介されるのは心憎い演出である(展示は13日まで)。
日本国外への流出を危ぶんで始まったという川崎の美術品収集だが、彼が情熱を傾けた作品は今では国外を含む美術館や博物館、あるいは個人の手で守り伝えられている。国境を越えて、あるものは公共の施設に安住の地を得ることで、またあるものは人の手を渡り歩きながら、命を永らえていく美術品の不思議を思う。
★神戸市立博物館
神戸市中央区京町24
12月4日まで
2022年11月2日 毎日新聞・大阪夕刊 掲載