赤松麟作「夜汽車」1901年、東京芸術大蔵

【展覧会】鉄道と美術の150年触発し合った歴史

文:平林由梨(毎日新聞記者)

日本美術

現代美術

 1872年に日本で初めて、新橋と横浜の間に鉄道が開通して150年。くしくも「美術」という言葉が「書画」に代わって初めて使われたのもこの年だった。鉄道と美術がこの150年の間に触発し合った様を錦絵から現代美術に至る約150件で伝える展覧会が東京ステーションギャラリーで開かれている。首都の玄関口・東京駅舎内の同ギャラリーにふさわしいこの企画は、冨田章館長によると学芸員総出で5年かけて準備したという。

 40以上の所蔵先から集めた作品を時系列で並べた。3階には河鍋暁斎による「極楽行きの汽車」や、車中の群像を表した赤松麟作の「夜汽車」、俯瞰(ふかん)した本州の中心を鉄道が走る不染鉄の「山海図絵(伊豆の追憶)」など、明治から大正期の名作が並ぶ。鉄道への憧れ、驚きが率直に表れたものが多く、どちらも「輸入品」だった鉄道と美術が社会に受容される過程と重なる。

展示風景。手前は遠藤彰子の「駅」、奥は立石大河亞の「香春岳対サント・ビクトワール山」=平林由梨撮影

 2階では1930年代から今に至る作品群を紹介する。企画を担った若山満大学芸員が「鉄道そのものをモチーフにした作品が少なくなり、選定に苦労した」と解説したように、作中に現れるその姿は多岐にわたる。しかし、戦後10年にわたって上野駅の地下道で眠る人々を描いた佐藤照雄の素描や、60年代の「通勤地獄」を収めた富山治夫の写真などは確かに、鉄道史の断片を担っていた。

 前衛美術家らがゲリラ的に山手線内で行ったパフォーマンスや、Chim↑Pom(当時)が渋谷駅構内の壁画に無断で一部を付け足した「事件」などは、駅や鉄道がアーティストにとってメッセージの発信場所にたびたび選ばれてきたことも示す。最新事例には、アートプロジェクトの一環で日比野克彦が山陽電車のためにデザインしたヘッドマークが紹介されていた。2023年1月9日まで。

2022年11月2日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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