多和田有希「I am in You」の展示

【展覧会】見るは触れる 日本の新進作家 vol.19現代の写真体験とは

文:高橋咲子(毎日新聞記者)

写真

現代美術

 「写真」という言葉が指すものが近年劇的に多様化するなか、作家はそれぞれのアプローチで写真を捉えようとする。その手がかりの一つが身体性だ。

 本展に参加するのは水木塁(1983年生まれ)、澤田華(同90年)、多和田有希(同78年)、永田康祐(同90年)、岩井優(同75年)。写真(映像)と、それが展開されるメディアの関係を表す澤田は、映写機を用い路上で撮影した風景を上映する。路上で誰かが持つ白い紙に映像を投影し、それをさらに撮影するという二重構造になっていて、展示室も入れ子状になった器の一つだ。イメージが眼前に現れる素朴な驚きや喜びがあり、原初的な写真(映像)体験も思い起こす。

音声ガイドに従い、永田康祐の展示を見る人たち

 本展のハイライトといってよいのが、多和田の「I am in You」の展示。プリントした写真を燃やす手法の3作のうち、海を撮影した本作は水の部分だけ燃やし、泡の部分を残した。母と共に行ったという作業の、重ねた時間が浮かぶ。永田は展覧会の音声ガイド的手法を巧みに転用してみせた。鑑賞者は、画像ソフトの修復ブラシツールで加工されたビル群の写真や、かつてあったとされる島を記した海図などを、音声に従って見ていく。私たちが自律的に見たと思っているものは、さまざまな要素に左右された末のイメージではないか。ガイドにコントロールされる居心地の悪さが、見ることの不確かさを気づかせる。

 環境にふるまいが影響されるというのは、水木の作品にも言えるだろう。スケートボーダーである水木は、路上にあるさまざまな構造物を、滑るための構造物と読み替えながら遊んでいるといい、平面であり立体物でもある写真は、水木が得た身体感覚そのものだ。岩井は放射性物質の除染作業に身を置いた日々を映像や写真で記録した。写真(映像)とは何か、という企画者の問いと、写真の可能性を切り開こうとする作家の意識が呼応する展示だった。東京・恵比寿の東京都写真美術館で12月11日まで。

2022年10月26日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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