日展に応募予定の福田美蘭の新作(右)

 革新的な作風で「近代絵画の父」と呼ばれる仏人画家、エドゥアール・マネ(1832~83年)。日本では印象派が絶大な人気を誇る一方、一時「印象派の首領」とされたマネの個展開催はわずか3回だという。この謎を日本での受容史をたどり、読み解いていく。

 レアリスム(リアリズム)と印象派の間に立つマネは、主題の斬新さと大胆な筆遣いで後進に大きな影響を与えた。「草上の昼食」や「オランピア」の代表作が、神話を借りずに現実の裸の女性を描きスキャンダルになったことは有名だ。

石井柏亭《草上の小憩》

 日本では、森鷗外が自然主義の作家ゾラの批評を引く形で初めて紹介。影響を受けた作品を集めた第3章では、マネの革新性があまり理解されていなかったことがよく分かる。石井柏亭の「草上の小憩」(1904年)は、モデルのポーズこそ「草上の昼食」ふうだが、マネが試みた主題も、色調も見いだせない。なぜ理解されなかったのか。東京・練馬区立美術館の小野寛子主任学芸員は「例えばマネの平面性に対するフランス人の驚きは、平面的なものを見慣れた日本人には根本的には分からない。文化歴史的背景が違えば、感じるものも違う」と話す。

 そうした時間を経てたどりついた現代の章は目の前が開けるようだ。第4章は、本質に迫った作家として美術家の森村泰昌や福田美蘭を特集。今や私たちは、マネの試みを森村作品を通して理解しているといってもよいほど、「オランピア」などを下敷きにした一連の作品はおなじみだ。

 痛快な新作9点ほかを出品した福田は、マネの〝わかりづらさ〟を「逸脱した絵画だが、一見普通に見える」からだと分析する。マネが革新的な作品を発表しつつもサロン(官展)に挑戦し続けた理由を考えるために、官展として始まった日展に、本展の会期中初応募するという。選外でも入賞でも福田のたくらみは成功と言えるだろう。

 研究成果と展示がかみ合った好企画。練馬区立美術館で11月3日まで。

2022年9月28日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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