紙に書くこと、印刷すること。私たちにとっても身近な世界の、背後に広がる場所に連れて行ってくれるような展覧会だ。美術やグラフィックデザインなどの分野で横断的に活動してきた立花文穂(ふみお)(54)の美術館初個展が、水戸市の水戸芸術館現代美術ギャラリーで開かれている。
冒頭、宣言のように展示されるのが「た」の文字。幼稚園のころ筆で書いた字で、黒々とした線が半紙いっぱいに躍る。立花いわく、当時「た」が示す意味よりも、形、それも書くことによって残る余白の形が気になったという。文字の形や、書くという行為そのものにひかれた感覚は原体験となった。同じ部屋には墨と筆で描いた大画面のドローイングがあり、うねり、弾む墨の跡に、見れば身体も共振する。
広島市出身。文字や紙、本にまつわる作品を手がけてきた。筆と墨で制作するようになったのは、原爆死没者の名前を書いた名簿に出合ったからだ。製本業をしていた父も納めていたという名簿。名前を書き入れる人を取材した映像には、一画一画、白い紙を墨が染めていく様子が映る。たくさんの名前がたくさんの紙に記されていき、後年父の名もそこに加わったという。
新作の墨を用いたドローイングは、ロシアのウクライナ侵攻前に着手したものだが、荒々しい線に傘下の人が浴びる砲撃が見える。
文字や紙の集積は、重ねた時間の表れでもある。展覧会には、何度も集積のイメージが登場する。人の顔が描かれた紙の束、誰かの手作りレシピを貼り合わせた作品、本を「本」の字の形のように積み重ねたもの。何度も刷って金属のようなつややかさを放つインク、壁紙をはがし下のベニヤ板を見せている仕切り板だってそうだ。時間の集積は記憶の集積だとも言える。その最たるものの「本」が最後の展示室を飾る。
タイトルの「印象」は「印字」と「象形」。ペーパーレスの時代に、弱くて強い紙に無類の愛情を注いでいる。10月10日まで。
2022年8月3日 毎日新聞・東京夕刊 掲載