河井寛次郎の書が載った資料を手にしながら語る鷺珠江さん

 中之島香雪美術館(大阪市北区)で開催中の特別展「陶技始末(とうぎしまつ)―河井寛次郎の陶芸」の記念対談が9日、同市内であった。河井の孫で河井寛次郎記念館学芸員の鷺(さぎ)珠江さんと、本展を企画した同美術館学芸課長の梶山博史さんが登壇。河井の生涯や展覧会出品作について語った。

 1890年島根県生まれの河井は東京で窯業を学び、京都・五条坂の窯を入手して独立。以後、1966年に亡くなるまで京都で活動した。これまで何度も回顧展が開かれ、京都国立近代美術館にはまとまったコレクションがあるが、本展は未紹介作品を中心に約100点で構成。河井を支えた関西の収集家ら6人を紹介するなど、「民藝運動の中心的作家」では収まらない切り口で、河井芸術の特徴と魅力を紹介している。

河井の「砕苺紅花瓶」1921(大正10)年 個人蔵

 鷺さんは、家族写真や言葉を紹介しながら河井の生涯を解説。中国陶磁の研究を生かした初期作品群で評価された折も「歴史の上に自分が作らせてもらっていると、本人はモヤモヤが深まったようです」と話し、58歳ごろの書「ひとりの仕事でありながら/ひとりの仕事でない仕事」を紹介。「いろんな人の力があってこそ(陶芸が)できる、自分だけが栄誉を受けるものではないと思っていたのでしょう」と話した。

 梶山さんも、河井の優れた言語感覚に言及。中国の景徳鎮窯で使われる深紅色の辰砂釉(しんしゃゆう)について「牛血紅」と呼ばれていたが、河井はこの釉薬(ゆうやく)を、砕いたイチゴに例えて「砕苺紅(さいばいこう)」と名付けたことなどを紹介した。「河井のことを一言で表すと、理系と文系のバランスを備えた『何でもできる人』。東アジア史の中で河井の作品が100年後にどう見えるのかも興味があります。懐の深い陶芸家です」と語った。

 本展は8月21日まで。月曜休館。同美術館(06・6210・3766)。

2022年7月20日 毎日新聞・大阪夕刊 掲載

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