清水九兵衞《AFFINITY E》1975年、アルミニウム

 京焼の名門、清水六兵衞を継ぎながら九兵衞の名前で現代彫刻の領域でも活躍した一人の芸術家の道のりをたどる回顧展が千葉市美術館で開かれている。7月3日まで。

 九兵衞は1922年、愛知県生まれ。東京芸大工芸科を卒業し、51年に京都・清水家の養子となった。日展で受賞を重ね、陶芸家としての評価を高めていくが、66年に初の彫刻作品を発表すると2年後には九兵衞を名乗って作陶を中止する。アルミを使ったスケールの大きな彫刻や、朱色の屋外彫刻で知られるようになるが、七代六兵衞を襲名すると再び土と向き合う。そして2006年に亡くなるまでの晩年はアルミと陶を組み合わせた「九兵衞/六兵衞」にしかなし得ない造形世界に行きつく。

清水裕詞《透黄釉花器》1965年ごろ、陶器、個人蔵

 本展の、半世紀にわたる仕事を見渡すと、土とアルミ、全く異なる素材を使いながら、その繊細な質感を一貫して重視した作家の姿が浮かぶ。60年代の、清水裕詞の名で作陶していたころの花器の、ガラス釉薬(ゆうやく)によるあいまいでぼやっとした風合いは、表面に施した何本もの細い線によってツヤを消したアルミと同じ表情だった。かすんだ光沢によるやさしさは六兵衞、九兵衞に共通する美しさだ。

 80年代のアルミによる「FIGURE」シリーズや、2000年代の「CORRESPOND」シリーズで見せた立方体ユニットを組み合わせたような彫刻は、56年の陶による「ユニット・オブジェ(一輪挿)」に片りんを見ることができた。晩年は、陶とアルミを組み合わせたり、和紙やクリスタルガラスといった素材を用いたりして、九兵衞と六兵衞の統合を象徴する造形作品にも取り組んだ。

 同館の藁科英也・上席学芸員は「六兵衞、九兵衞、どちらの仕事も見せることで彼の総体に触れることができる展示になった」と語る。7月30日から京都国立近代美術館に巡回予定。

2022年6月29日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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