(BBプラザ美術館・19日まで)
 静かに作品の前に立ち、画面に目を泳がせていると、ふと隣に作家がいるような感覚を覚える、そんな親密な体験をさせてくれる展覧会である。惜しくも64歳でこの世を去った1980年代を代表する画家の歩みを、版画作品を中心にたどる本展の会場は決して広いものではない。しかし、企画者の画家に対する深い理解と愛情のゆえ、厳選された作品がならぶ会場は丁寧に整えられており、満足のゆくまでこの画家の画業に向き合うことができるだろう。一点一点の作品を眺めていく。少し息をついて会場を見渡し、作風の来し方行く末を確かめる。このように作品に集中して鑑賞できる機会は、案外まれなことである。

辰野登恵子「Dec-2-93」1993年 エッチング、雁皮(がんぴ)刷り BBプラザ美術館蔵

 描くという行為自体に反省的でなければならなかった時代の状況もあってのことだろう、辰野は東京芸術大学の油画科に学びながら、シルクスクリーンを用いて制作を始めた。そうしたミニマルアートなどの影響下にあった作品の中から、ストライプなど規則的にひかれた線のズレによって生じる空間が発見され、辰野の絵画は始まる。こうした版画と絵画との往還による表現の進展はその後も途切れることなく続いていった。

 本展は開催館と個人のコレクションによって構成されているが、文字通りの要所にカンバスに描かれた油彩の作品が差しはさまれており、辰野の仕事を総合的に考えることができるように配慮されている。技法ごとに異なる表情を見せるそれぞれ濃密な版画作品には、版画工房の職人たちとともに粘り強い作業をつづけた画家の静かな気迫が宿る。

 「抽象」であることにおいて一貫しながら、形と色とマチエールによって、絵画だけに許された空間を描くことを目指し、あまつさえ「感情表現」を求めた辰野の絵画を要約するのに、「抽象画」という言葉では荷が勝ちすぎる。展覧会名の副題に「身体的知覚」とあるように、作品は一人の画家の具体的な実存を受け止めるものとして現れたはずなのである。だからこそそれは、見る人の感情にも触れるのだ。

INFORMATION

BBプラザ美術館

神戸市灘区岩屋中町4の2の7

2022年6月15日 毎日新聞・大阪夕刊 掲載

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