(京都国立近代美術館・5月15日まで)
博物館、美術館が視覚による鑑賞ばかりを無自覚に前提としてきたことを反省し、より開かれた鑑賞の可能性を考える試みが静かに広がっている。京都国立近代美術館が現代美術作家の中村裕太と協働して取り組んだ本展もそのひとつ。展覧会の主役は河井寬次郎の「三色打薬(さんしきうちぐすり)陶彫」(1962年)。左手の人さし指の先端に丸い球が乗っている、そんな陶彫の作品である。この一点を前に生じた「なんで人さし指の上に玉を乗せたんですか?」という疑問を出発点に、中村はさまざまの資料を渉猟し、河井寬次郎という作家に迫る。その過程で生まれる仕掛けが中村の作品となる。
中村の探求は、河井が枕元に置いていたというラジオ、日記にはさまれていた新聞記事のスクラップ、大きな数珠のような手すりへと行き当たる。いずれも河井の「暮らしぶり」をうかがわせる品々だ。眼と耳と手を刺激したはずのこれら証拠物品は、さらなる「なんで?」を招き寄せる。
次々わきおこる疑問について考える手がかりとなるのは、ラジオから流れる河井の肉声や、河井の思考をたどることができそうな品々を触察した、本展協働者で視覚に障害のある安原理恵の音声によるリポートだ。部屋の中央には、安原が紹介する品々をかたどった中村による陶製の模型も用意され、触ることができる。
鬼籍にある河井が「?」に答えることはない。それでも中村や安原という人の手を借りながら、眼と耳と手を駆使するうちに、河井寬次郎という人の姿がおぼろげながら想像されてくる。最新のラジオを愛(め)でる姿は、先入観から民藝(みんげい)とは縁遠いと思っていた工業品について、河井が「民衆的工芸のあとつぎ」と語っていたことを思い出させる。積み重ねたお膳を運ぶ女性の記事はお膳の機能美に気をとめたのか、あるいは団体客であっても料理の手抜きはできませんと語るそのプロ意識に共感したものか。
本展の意義は障害のある人にも芸術鑑賞の機会を開いていくということにとどまらない。他の人の鑑賞体験に耳を傾けること。複数の感覚を通じて作品を味わうこと。素直な「?」を大切にすること。そうすることでミュージアムでの体験はより豊かなものになる、そうくつろいだ雰囲気の中で教えてくれる。
INFORMATION
京都国立近代美術館
京都市左京区岡崎円勝寺町26の1
2022年4月13日 毎日新聞・大阪夕刊 掲載