歌川国芳《宇治川合戦之図》1849年=高木繁コレクション、名古屋市博物館所蔵

 浮世絵に新しい風を吹き込んだ絵師、歌川国芳(1797~1861)の下には多くの弟子が集った。その一人が「最後の浮世絵師」と称される月岡芳年(1839~92)。2人の作品を中心に約150点を紹介した特別展「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」が京都文化博物館(京都市中京区)で開かれている。

 本展のテーマは「挑む」。有賀茜(あるがあかね)学芸員によると、「従来の表現や過去の自分への挑戦」という意味が込められており、同じ題材の作品を比較できるよう一緒に並べるなどの工夫がされている。平安末期の武将、源義経と木曽義仲の戦いを描写した「宇治川合戦之図」は国芳の2種類のバージョンを展示。46年に描き上げた後、再び49年に筆を執って新たな作品を仕上げた。「視点を水面に近づけることで臨場感が出ています。3年でここまで上達したことが驚き」と有賀学芸員は評価する。

 国芳らしさといえば大判を数枚つないだパノラマ作品。日本三大仇討(あだう)ちの一つ、鎌倉期の曽我兄弟の敵討ちを題材にした「曽我夜討之図」は、当時のタブーと向き合った6枚続きだ。天保の改革による倹約で4枚続き以上は禁制だった。左右3枚の検閲時期に差があることから、3枚続きで申請後、6枚続きで販売したと考えられる。

歌川国芳《宇治川合戦之図》1846年=高木繁コレクション、名古屋市博物館所蔵

 一方、芳年の代名詞といえば「血みどろ絵」。国芳門下の双璧と並び称された兄弟子の落合芳幾と手がけた全28作のシリーズ「英名二十八衆句」を一挙公開している。互いに半分ずつを担当し、歌舞伎などの演目を描いた。目を背けたくなる残酷描写の連続だが、「当時は物語の内容が一般に浸透し、残虐な場面も、現在でいえばテレビ番組のCM前に映る山場のような感じで受け止められていた。背景の物語も含めて見てもらえれば」と有賀学芸員。

 幕末期の作品という時代背景も大きい。「さらし首が今より身近な時代。人々を驚かせるには激しい表現が必要だった。芳年の画力と時代のニーズが一致した」

 恐ろしさでは「一ツ家」シリーズも負けていない。浅茅ケ原(あさじがはら)(現・東京都)と安達ケ原(現・福島県)に伝わる類似の伝説で、実娘と知らず手にかける老婆の話。国芳の「木曽街道六十九次」と芳年の「一魁随筆」は、浅茅ケ原の同場面を異なる角度から描いたもので両者の構図を見比べられる。

 芳年は「奥州安達がはらひとつ家の図」で更に過激な一歩を踏み出す。逆さづりにした妊婦の実娘を見上げ、包丁を研ぐ老婆を描いた。有賀学芸員は「天井や道具も見てほしい。包丁の音が聞こえそうなほど緻密に描いている」と説明する。一方で昨今の芳年人気の秘密を、「ペン描きのような細かい線が特徴。現代人にはペン線の方がなじみ深い。だから身近に感じるのかも」と分析する。

 芳年の一ツ家の到達点というべき作品も見られる。月をテーマにした晩年のシリーズ「月百姿(つきひゃくし)」の「孤家月(ひとつやのつき)」。娘と包丁さえも省いた省略の美を目指した作品だ。「見る側も意図を理解し、楽しめる土壌が育っていました。ただ、芳年だけの功績ではありません。国芳から描き続けた結果。師あっての芳年と言えます」と有賀学芸員。

 全展示を通して撮影可能。「江戸の人たちが浮世絵を回し見していたように、遠方や新型コロナウイルスで来場いただけない方と一緒に分かち合っていただけたら」。10日まで。同館(075・222・0888)。

 

2022年4月6日 毎日新聞・大阪夕刊 掲載

シェアする