「0滞」展覧会場の一場面。温泉の蒸気で浮かび上がる卵 写真:天野祐子

【展覧会】 梅田哲也「0滞」 会期、会場を限らない鑑賞提示

文:小林公(こばやし・ただし)(兵庫県立美術館学芸員)

現代美術

 (同名書籍はNPO法人「BEPPU PROJECT」発行)

 梅田哲也の「0滞(ぜろたい)」は2020年12月から21年3月まで大分県別府市内の各所を会場に開催された。地図と音声を手掛かりに数カ所を回遊する体験型の作品であり、また展覧会である。本欄は主に関西圏で開催中の展覧会を取り上げることを旨とするが、「新しい日常」を語る世界に放り投げられた本展の主催者は、「会期や会場を限定しないことに決めた」と宣言していた。オンラインや書籍による体験も「0滞」への入り口なのだとも。

 これが詭弁(きべん)でないことは昨年10月に刊行された書籍『0滞』を手に取ればわかる。東日本大震災の経験から地続きのものとして語られる創作の軌跡は当事者、不要不急などの言葉によって、人々の生活を残酷に切り分けていくことへの静かな抵抗の記録としても読める。

 梅田の文章と会場写真を豊富に収めた本書に添えられた地図には、別府市内(ほか)の会場が示される。温泉地らしい観光地や変哲のない街角、市中に置き去りにされた遊園地跡などだが、そこに特別な何かが置かれているわけではない。かわりにいつもどおりの風景をめぐればラジオのような受信機を通じて音声劇を聞くことができるという趣向である。この「聖地巡礼」は、同じ場所をロケ地とする映画と対になっている。実際に今、音声劇と映画が公開されているわけではないが、森山未來の演じる旅人が満島ひかり演じるさまざまな人物に誘われ、別府に積層する歴史に触れるというあらましは、書籍に収録された台本やネット上の予告編映像でも知ることができる。それに先ごろ設けられた再公開の機会がまたないとも限らない。

 別府という土地で音声劇に身を浸すこと、映画館の座席に身を沈めること、終わりのない本の中へと潜っていくこと、どれも同じ体験であるはずがない。それでも、現地での体験のみを真正な鑑賞の在り方だとするような態度をとれば、梅田からの問いかけに耳を塞ぐことになる。だから、「0滞」に興味をひかれたならその人にとっての展覧会はもう始まっているのだと言おう。よく見れば地図に期限は設けられていない。

 名実ともに一級の俳優とともに裏方とされるスタッフや観客が無遠慮に登場し時制をかく乱する映画が別府という町に滞留している。いつかまた上映の機会がやってきて、客席から拍手が湧き出したなら、それは<エッセンシャルワーカー=創作にかかわるすべての人>への感謝と賛辞に他ならない。

2022年3月16日 毎日新聞・大阪夕刊 掲載

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