「スペクタクルの博覧会」の展示風景

 映像とアートの国際フェスティバルとして、東京・恵比寿の東京都写真美術館などでこの時期に開催されている、恵比寿映像祭。イベント的側面がある映像祭が、自らスペクタクルの歴史を考えるよう促すのが今年の展示だ。

 核となるのは、小原真史がゲストキュレーターとして参加した「スペクタクルの博覧会」。今年から設けた有料ゾーンで、自身が収集した19~20世紀の博覧会の写真やポストカードを、美術館のコレクションと共に展示した。

 冒頭、催しを見つめる人々の写真から始まるように、展示が問うのは他者へのまなざしだ。同時期に普及しだす写真には「見る/見られる」の関係性が時に赤裸々に浮かぶ。

 欧米におけるアジア・アフリカへのまなざしだけではない。西洋化した日本は琉球やアイヌ、台湾原住民族を他者として見つめた。会場で現地の集落を再現、人間を「展示」し、さらにその様子はポストカードや写真となって、多くの人の手元に届いた。小原は「スペクタクルな経験は、実は複製物との出合いであり、非常に写真的な経験でもある」と語る。

 展示される資料は大量だが一つ一つ見ることに意味がある。戦前の人類学や科学、戦後の「世界人類は一つ」の合言葉と、さまざまに偽装したまなざしが表れるからだ。ちょうど開幕した北京冬季五輪では、「一つの世界、一つの家族」をテーマに開会式が演出されていた。はたして今はスペクタクル「後」なのか。

 無料ゾーンでは、ドラムセットを使った装置を用い、撮られる側の痛みに自身をさらす山谷佑介や、集合的記憶と個人の記憶を重ね合わせた三田村光土里、藤幡正樹らの作品を展示する。写真や美術館が持つ、「見ること、収集すること」を成り立たせてきたものは何か、その問いかけから出発し、その先にある表現を見せている。20日まで。

ドラムセットを使った山谷佑介の展示などがある無料のフロア

2022年2月9日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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