「麗子裸像」1920(大正9)年

 愛娘を描いた「麗子像」で知られる岸田劉生(1891~1929年)。近代日本を代表するこの画家の作品42点を昨春、一括収蔵した京都国立近代美術館(京都市左京区)で、お披露目の展覧会「新収蔵記念:岸田劉生と森村・松方コレクション」が29日に開幕する。既蔵品も含む同館の劉生コレクション50点をすべて公開。風景画や静物画など各ジャンルを網羅するだけでなく、初期から晩年までの画風をそろえ、画業全体が一望できる。

 ◇「麗子像」「舞妓」たどる変遷 居住地ごとに章立て

 劉生の生涯をたどる今展は、たびたび住まいを変えた画家の居住地ごとに章立てされる。まずは1913年まで過ごした東京・銀座時代。17歳から白馬会洋画研究所に通い、黒田清輝に師事した劉生は明るい色彩の風景画を制作したが、西洋美術を紹介した雑誌「白樺(しらかば)」との出会いを機に作風を変化させる。中でも強く感化されたのがゴッホらポスト印象派の芸術だ。この時期の重要作「外套(がいとう)着たる自画像」の濃厚な筆致にその影響がうかがえる。

「外套着たる自画像」1912(明治45)年

 同じ都内で結婚後に暮らした代々木時代には、北方ルネサンス絵画への関心から宗教画の制作に励んだ。聖母像を描いた「エターナル・アイドル」はその一つだ。14年には長女麗子が誕生、翌15年に美術家集団「草土社」を結成。開発が進む代々木で、造成中の道路に露出した赤土と草の生命力に魅せられた劉生は風景画に取り組むも、結核と診断され、郊外の玉川で療養生活を余儀なくされる。そして17年、一家で神奈川・鵠沼(くげぬま)へ移り住んだ。

「壺」1917(大正6)年

 主に室内で過ごした鵠沼時代の療養中に、画家の関心は静物画へと向かう。たとえばモノの実在をめぐる探究を深めた「壺(つぼ)」。多彩なモチーフを初めて組み合わせた「壜(びん)と林檎(りんご)と茶碗(ちゃわん)」。写実による「内なる美」の表出を目指した劉生は、人間像においてもその表現を洗練させていく。生涯で70点描いたともいわれる「麗子像」はこの時期、多くの名作が誕生した。水彩画「麗子裸像」は半身があらわになった特異な作例だ。

「壜と林檎と茶碗」1917(大正6)年

 23年の関東大震災後、26年まで住んだ京都時代には初期肉筆浮世絵や中国の宋元花鳥図を収集。「舞妓(まいこ)図(舞妓里代之像)」は、劉生が初期肉筆浮世絵に見いだした「デロリ」の美学、すなわち濃厚な表現に息づく深いリアリズムと神秘性が漂う。そして最晩年を過ごした神奈川・鎌倉時代には、友人・松方三郎の仲介で旧満州(現中国東北部)へ渡航。それまでの風景画にはない温かな色彩の「大連星ケ浦風景」など新境地をのぞかせたが、帰国した翌月に帰らぬ人となった。

「舞妓図(舞妓里代之像)」1926(大正15)年
「大連星ケ浦風景」1929(昭和4)年

 新収蔵品は、劉生没後に作品を集めた松方とその兄、森村義行の旧蔵品が大半を占める。この「森村・松方コレクション」は劉生の顕彰に大きな役割を果たしたが、兄弟没後の70~80年代に相次いで手放された。それらを再び個人コレクターが収集し、昨年3月の一括収蔵が実現。一方、館が既に所蔵していた作品は劉生を生前に支えたパトロン、芝川照吉の旧蔵品だ。今展はこの10年ほぼ門外不出だった「森村・松方コレクション」、そして「芝川コレクション」から北斎の浮世絵や青木繁の名作なども紹介し、個人蔵の劉生作品を含めて計83点を展示する。

会期:1月29日(土)~3月6日(日)。月曜休館。入場は午前9時半~午後4時半(金・土曜は午後7時半まで)
会場:京都国立近代美術館(京都市左京区岡崎円勝寺町、075・761・4111)
観覧料:一般1500(1300)円▽大学生1100(900)円▽高校生600(400)円。中学生以下無料。カッコ内は前売り及び20人以上の団体料金。前売り券は1月28日まで販売(前売りペアチケットは一般のみ2枚組み2200円)
主催:京都国立近代美術館、毎日新聞社、京都新聞、NHK京都放送局

※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、休館日・開館時間は変更となる場合があります。最新の情報は美術館ホームページ=QRコード=をご確認ください。

※掲載作品はいずれも岸田劉生作、京都国立近代美術館蔵

2022年1月26日 毎日新聞・大阪朝刊 掲載

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