二百六十余年に及ぶ江戸時代を将軍家と縁者らの史資料で振り返る企画展「徳川一門 将軍家をささえたひとびと」が江戸東京博物館(東京都墨田区横網1)で開かれている。
徳川家康が滅ぼした豊臣政権では秀吉の跡継ぎが最終的に秀頼1人だったが、家康には二代将軍となる秀忠をはじめ11人の男子がおり、うち3人はそれぞれ尾張と紀伊、水戸の「御三家」の祖となるなど、草創期の徳川幕府の基盤となった。本展では徳川宗家の系図などでその流れを伝える。
将軍家は七代家継が数え8歳で早世し、跡継ぎ問題が起きた。そこで継いだのが紀州藩主で藩政改革を断行していた吉宗。幕政改革を進める一方、自らの血統を維持拡大することにも力を入れた。長男の家重を九代将軍とし、他の息子2人に江戸城内にそれぞれ屋敷を与えた。さらに家重も次男に一家を起こさせる。これが田安・一橋・清水の「御三卿(ごさんきょう)」となり、徳川体制を強化していった。
始祖の家康や幕府中興の祖と言われる吉宗、最後の将軍となった慶喜らは小説やドラマなどでしばしば取り上げられる。十一代将軍家斉はさほどでもない。しかし本展では第2章「一門の広がり 家斉とその子どもたち」でその存在の大きさが分かる。
一橋家を継いだ家斉は吉宗の曽孫に当たり、数え15歳で将軍となった。在職は半世紀に及び53人もの子どもがいた。徳川一門や大名の養子や配偶者とし、将軍家の血脈はさらに広がった。この政策が、幕末の政局に影響したことが分かり興味深い。その幕末期は慶喜や、十四代将軍家茂の正室として「降嫁」した皇女和宮、十三代将軍家定の正室、篤姫(天璋院)などのゆかりの品で振り返る。
展示は約60件(展示替え含む)。新型コロナウイルスの感染状況により会期などを変更する可能性がある。確認は同館ホームページか電話(03・3626・9974)で。
2022年1月17日 毎日新聞・東京夕刊 掲載