「東京尾行」の展示。手前のピアノはドビュッシー「月の光」を自動演奏する。これも他人の演奏の「トレース」にあたる

 描かれているのは虚実ない交ぜの日常。見る人は懐かしさと同時にこの世ならざる気配を感じて立ちすくむかもしれない。45歳でがんで亡くなった佐藤雅晴(1973~2019年)の作品は直接それを描いていないにもかかわらず、生と死、存在と不在を色濃く映し出す。

 佐藤はカメラやビデオで撮影した風景に、パソコンソフトのペンツールで上からトレースする「ロトスコープ」の技法で描いた。そのトレースは佐藤にとって単になぞるだけの行為ではなかった。対象を追いかけ、見つめ、自身に取り込むこと。それを「尾行」と言い表した。

 電話の着信音、雨音、ピアノの自動演奏と、うす暗い展示室には作品からかすかに漏れる音が重なる。ドイツ編と日本編が制作されたそれぞれ7分間のアニメーション「Calling」は、人のいない12の場面で着信音だけが鳴り響く情景を描いた。コーヒーは湯気が立ち、めくられた布団はまだ温かそう。なぜ電話を取るべき人は不在なのか、架電し続けるのは誰か。ロトスコープによって異化された現実に、さまざまな思いが呼び起こされる作品だ。

「Calling(ドイツ編)」の一場面。路肩に設置された公衆電話が鳴り続けている

 12台のモニターに90もの場面を映し出す代表作「東京尾行」では実写とアニメを組み合わせた。渋谷の雑踏、国会議事堂、団地、人けのない公園、花が生けられた瓶――。見慣れた景色一つ一つに必然性が感じられるのは「尾行」の痕跡ゆえだろう。東京芸大卒業後にドイツで手がけた作品に始まり、がんによる苦しみを想起させる未発表作「SM」、これ以上良くならないと宣告された後に着手した未完の「福島尾行」、そして亡くなる直前に描いたアクリル画まで、映像と平面全64作品から佐藤が追究した表現に迫った。水戸市の水戸芸術館現代美術ギャラリーで、2022年1月30日まで。

2021年12月1日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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