軽気球飛行の実演を描いた永島春暁「上野公園風船之図」1890年 東京都江戸東京博物館蔵

 美術館や博物館が集積する東京・上野。特に上野公園には何度も足を運ぶのに、なぜここなのか、土地について思いを致すことは少ない。

 本展は、近代化以降の上野の記憶を東京都の所蔵品からたどる小企画。会場は日本初の公立美術館として1926年に誕生した東京都美術館で、いかにもふさわしい。

 まず、寛永寺の境内だった土地が公園となり、祝祭の場に変貌するさまを版画などで伝える。博覧会や英国人による軽気球飛行の実演、上野駅の開業行事などの催しが多色刷りの華やかな色彩と共に表される。仮設的空間はやがて博物館や美術館、動物園などの常設的空間となっていく。

 同時期に設置されていった銅像などの記念物も名所化していく。西郷隆盛や、小松宮彰仁親王、彰義隊は同地を焼き尽くした上野戦争に関わる。そう、本展のもう一つの軸が、災禍だ。関東大震災で避難民が公園に押し寄せ、戦後は駅の地下道で戦災者が夜露をしのいだ。

 旧東京美術学校在学中に出征した経歴を持つ佐藤照雄(26~2003年)は「地下道の眠り」で避難民の身体をスケッチに残した。体を縮こませて眠る人々は暗闇のなかで塊のようだが、画家は一人一人の顔を描き分けようとする。敗戦後に戻ってきた上野で辛苦の現実に直面した佐藤は47年から約10年間、終電で上野に行き、デッサンして始発で帰る生活を続けたという。

林忠彦「引き揚げ(上野駅)」1946年 東京都写真美術館蔵

 内藤正敏(38年生まれ)は上野駅のホームで新聞の上に座り列車を待つ若い娘(71年)や、公園の家なき人の姿(83年)を写真に収めている。人々が引き寄せられ、行き交う場として上野は発展し、だからこそ表現者もその姿をとどめようとした。ミュージアムだけでなく、銅像や碑、路上生活者、花見にそぞろ歩く家族連れ含めての上野公園なのだ。東京都美術館で来年1月6日まで。

2021年11月24日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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