【時の展望台】図書館は「生活の根拠地」 焦土から出発、建築家の挑戦
明治期に建てられた紡績工場を改修した洲本図書館。赤レンガの囲いに設けられたゲートは中庭に続き、建物に入るまで段差はない=兵庫県洲本市で3月30日

 本棚の間を歩き回り、気になる本があれば直接手にとって自由に読める。そんな図書館の風景が国内で当たり前になるのは、戦後に入ってからのことだ。書庫が中心の閉架式から、「民主主義の時代」を象徴する開架式へ。図書館が大きく変わり始めた1950年代に設計の仕事を始めた建築家、鬼頭梓(26~2008年)は、市民に開かれた自由な空間を手がけ、「図書館建築のパイオニア」と呼ばれた。半世紀に及ぶ活動の中、追い求めたのは「生活の根拠地」としての図書館だった。

【時の展望台】図書館は「生活の根拠地」 焦土から出発、建築家の挑戦
「鬼頭さんの建築には優しさがある」と語る松隈洋・神奈川大教授。展示の写真は日野市立中央図書館で、下段の資料も探しやすい特徴的な形の本棚は鬼頭の設計による=京都市左京区で3月22日

 赤レンガが美しい兵庫・淡路島の洲本市立洲本図書館。明治末に建てられた鐘紡の旧紡績工場を改修し、新築部分も含め98年に完成した鬼頭の晩年の代表作だ。坂口祐希館長の案内で正面のゲートをくぐり、100年前のレンガが敷き詰められた中庭を歩く。「洲本図書館は長く公民館に間借りし、『きちんとした新しい図書館を』という市民の声からこの館が生まれました。毎年秋には『図書館市民まつり』が開かれ、多くの人が訪れています」と坂口館長。

 館内の閲覧スペースの上、吹き抜けの天窓から春の日差しが注ぐ。大きなガラス窓沿いには中庭を望むように椅子が置かれ、腰掛けた人は本の世界に没頭しているようだ。暮らしに溶け込んだ空間に流れる、一人一人の穏やかな時間。そんな光景を前に、鬼頭の言葉を反すうする。

 <戦争が終わってみれば、やっぱり建築がやりたいと思ったんです。戦争で破壊された生活の根拠地を作りたかった>(『建築家の自由』建築ジャーナル刊、08年)

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 京都市左京区の京都工芸繊維大美術工芸資料館では、鬼頭建築に光を当てた初の展覧会が6月10日まで開かれている。「鬼頭さんは戦後型の図書館とともに歩んだ先駆者であり、それに形を与えた人。戦後の民主主義の時代に建築は何ができるのかを、生活者に近い目線で考えたんだろうと思います」。企画・監修者の一人で、この春に神奈川大へ移った松隈洋教授(近代建築史)は語る。80年から20年間、前川國男(くにお)建築設計事務所にいた松隈さんにとって、鬼頭は同じ事務所の先輩にあたる。

 東京・吉祥寺生まれの鬼頭が東京大を卒業し前川事務所に入所したのは50年。日本はまだ占領下にあった。戦前の図書館は閉架式が一般的で、利用者は目録で資料を探して請求票に記入。職員が書庫から持ち出した本をカウンターで受け取った。公立でも有料の館があったという。誰もが自由に本を手に取り、無料でサービスが受けられる開架式の普及は、連合国軍総司令部(GHQ)による民主化政策の一環だった。

 そんな時代に設計活動を始めた鬼頭は、日本のモダニズム建築をリードした前川の下で神奈川県立図書館・音楽堂(54年)や国立国会図書館(61年)を担当。64年の独立後、東京経済大図書館(68年)や山口県立山口図書館(73年)など、全国で30以上の図書館を手がけた。中でも東京・日野市立中央図書館(73年)は鬼頭にとって「図書館建築を生涯のテーマとする決定的な意味を持った」と松隈さん。初代館長、前川恒雄の「市民とともにある図書館」という信念に深く共鳴したのだ。

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 鬼頭建築を特徴付けるのが、高い吹き抜けと大きな窓だ。それが「どの作品でも明るく爽やかな印象を与え、公共空間としての質を支えている」と、平尾良樹さん(26)は考える。この春、鬼頭建築に関する修士論文を京都工芸繊維大大学院に提出し、論文は今展のベースにもなった。各地の鬼頭建築を訪ね歩いた平尾さんは、最も印象的だった図書館に洲本を挙げる。ゲートの内外と図書館のメインフロアには段差がなく、「人間に対して開かれた場」と表現。それは「鬼頭さんが繰り返し主張していた『フラットフロア・ノーステップ』の思想そのものであり、図書館建築の到達点であるように思いました」

 松隈さんは00年、京都工芸繊維大に赴任。以降は研究会などで鬼頭と一緒になる機会も多く、生前最後のロングインタビューでは聞き手を務めた。そこで鬼頭は「人間に対する思いや尊敬、愛情といったものが建築の一番基本なんだろうと思います」と語った。

 松隈さんは「建築は人間の喜びや悲しみを受け止める場所でないといけない。それが、戦後の焦土から出発した鬼頭さんの初心だったんだと思います」と話す。「『生活の根拠地』は今の言葉でいえばコモン(共有地)。人々にとって身近なよりどころとなるコモンをどう育てるか。子どもたちのために情報環境をどう整備するか。民主主義の根幹に関わるこうした大事な問題を、鬼頭さんの図書館は今の時代に改めて問いかけてくるのではないでしょうか」

2023年4月19日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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