ハイダの巨大なトーテムポール(クリスチャン・ホワイト作)=筆者提供

 <みんぱく発>

 カナダの太平洋岸には雄大な海と森林地帯が広がっている。そこではハイダらの先住民族が豊かな水産・森林資源を利用して独特な文化を形成してきた。

 彼らがヨーロッパ人と初めて接触したのは1770年代であり、19世紀にはラッコの毛皮交易による経済的繁栄とその後の天然痘といった外来の伝染病による苦難を体験した。19世紀にヨーロッパからの入植者が増加し、1867年にカナダが建国されると、先住民に対して伝統的儀礼の禁止や寄宿学校での教育といった同化政策を実施した。このため、彼らの言語と伝統的文化は急激に衰退した。

 しかし、1951年のインディアン法改正により伝統的儀礼の実施が解禁となり、先住民族の伝統的文化の復興と創造的継承のための活動が始まった。それは、生きていくうえで重要な先住民族としてのアイデンティティーを強化することでもあった。トーテムポールと呼ばれる巨大な彫刻柱(以下、ポールと略称)や仮面、カヌーが再び制作されるようになり、結婚などの特別な時に開催される大饗宴(きょうえん)と財の贈与を伴うポトラッチ儀礼も復活した。この復興活動の中で重要な役割を果たしたのがポールの制作であった。

 現在、ハイダ・グワイやバンクーバー島の先住民族の村を訪ねると、見る者を圧倒する巨大なポールが立っている。ポールには祖先と特別な関わりがあるとされているワタリガラスやワシ、ビーバーのような生き物や、怪鳥サンダーバードやシシウトル(双頭のウミヘビ)のような架空の怪物、人間の姿などが伝統的な表現様式にのっとって彫られている。用途により、屋内の家柱、入り口の門柱、家族の歴史を記録する記念柱、墓地に立てる墓柱などに分類できる。現在、最も多く制作されているのは、自らの祖父母や祖先をたたえたり、学校や病院の新築を記念したり、博物館・美術館・個人コレクターに売ったりするための記念柱である。

 この20年間の変化も見逃せない。ポールを自然に朽ち果てさせるのではなく、寿命を延ばすためにニスを塗ったり、色を塗り直したりするようになった。また、かつてはポールの下部を土中に埋めていたが、地面にコンクリート製の土台を作り、その上に金属具で固定することも始まった。加えて、以前は村人が力を合わせてポールを立てていたが、現在では人力を借りずに重機で立てることもある。

 ポールの制作には変化がみられたものの、心を込めて彫ったポールは、先住民族の存在と文化のすばらしさを見た人びとに知らしめるとともに、先住民族自身のアイデンティティーを確認させる役割を果たしている。私はポールを見るたびに、彼らが伝統的文化を創造的に継承しながら先住民族として力強く生きていることを実感する。

2023年9月3日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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