1970年代から時代順に足跡を紹介した

 写真史家としても、元東京都写真美術館・専門調査員という肩書でも、追悼展が開催されるのは異例のことだろう。昨年6月、73歳で死去した金子隆一を悼む「写真史家・金子隆一の軌跡」展が、東京・恵比寿のMEM(03・6459・3205)で開かれている。

 写真家の築地仁を発起人代表に、故・田沼武能、島尾伸三ら交流のある写真家や、写真評論家の飯沢耕太郎、美術館関係者らが発起人に名を連ねた。コロナ禍でできなかった「お別れの会」の代わりに開催するに至ったといい、金子自身が残した膨大な資料を基に、果たした役割を紹介。同時に、写真とその時代の変化も伝える展示になっている。

金子隆一さん=鷲尾和彦撮影

 写真の奥深さや問題意識を培ったのが、大学時代に参加した「全日本学生写真連盟」の活動。しかし、写真に向いていないと気づき、撮影は大学時代でやめたという。このまま撮り続けていたら、撮ることだけの面白さに終始してしまっていたかもしれない--と後年述懐している。

 自主ギャラリー運営や印刷物の発行、勤務した都写真美術館をはじめとする美術館での写真展示やコレクション形成、それまで〝空白〟だった日本写真史の研究・執筆など、写真がアートとして位置づけられるようになるなか、時代に伴走してきたことがよく分かる。岡上淑子ら作家の再発掘や、米ヒューストン美術館での「日本写真史展」などを通じて国内外で日本写真の再評価にも貢献した。

 3万冊以上ともいわれる写真集や、カメラ雑誌等の収集家としても知られ、「貴重な本が自由に手に取れる書庫は、若手研究者の勉強会の場ともなった」と、MEMアシスタントの高橋瑞穂は話す。書籍は現在MEMが倉庫で保管しているといい、「一括して保管、活用してくれるところが現れればありがたい」と期待する。書籍を移す前には長年の親交があった潮田登久子が書架を撮影。展示された写真には、写真に関わり続けた半生が写っていた。31日まで。

2022年07月20日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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