絹本墨画淡彩 2曲1隻 各縦126.3㌢、横54.8㌢ 江戸時代中期(18世紀後半) 摘水軒記念文化振興財団蔵(府中市美術館寄託)

 高校生の時のこと。ある朝、飼い犬のチロが庭の犬小屋で出産していた。だれも身ごもっているとは知らず、突然の出来事だった。白、黒、茶と見事に色の違う3匹は、ほとんど毛のない体を震わせながら、争うように乳を飲み、チロは悠然としていた。

 それからというもの、犬は安産や多産の象徴だという話に触れるたびに、その光景が目に浮かぶ。加えて、あの体験でもう一つ頭に刻まれたのが、子犬の行動である。目も開かない時期は、互いをつぶし合うように乳を求めてモゾモゾ動いていたが、少し大きくなると、今度は乳とは関係なく、とにかく乗っかり合っていた。この絵の子犬も、その目的不明の謎の習性によって、わけのわからない状態になっている。

 子犬の絵は日本で始まったわけではなく、海の向こうからやって来た。鼻筋や目の周りが白いのは中国風だが、この子犬は目の周りの白い部分が大きくて、耳が頭の真横に付いている。この描き方は、中国の影響を受けつつ独自の子犬を描いた朝鮮の画家、李巌のスタイルだ。丸みがあって柔らかそうで、少し変な風貌の李巌の子犬は、もはや現実から離れた一種のキャラクターともいえる。そんな李巌犬もまた、日本で多くの画家にコピーされ、人々に愛された。

 二つの絵は2枚折りの屛風(びょうぶ)に貼られていて、屛風を開けば、元気な犬の親子に、立派な松と竹が現れる。戌(いぬ)年の正月に飾るのも良いが、それだけではもったいない。例えば、もうすぐ家族が増える、そんな時に日々眺めたら、穏やかでうれしい心持ちになれそうだ。

PROFILE:

かのう・たかのぶ(1740~95年)

江戸時代中期の画家。幕府の御用絵師を務めた中橋狩野家を継ぎ、花鳥画を得意とした。後に江戸琳派の祖となった酒井抱一は、高信に学んだことがある。

INFORMATION

府中市美術館(ハローダイヤル050・5541・8600)

東京都府中市浅間町1の3。月曜休館。金子信久学芸員は著書に「子犬の絵画史 たのしい日本美術」(講談社)などがある。

2023年2月13日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

シェアする