1877年 ハンブルク美術館蔵 Edouard Manet,(1832−1883) Jean-Baptiste Faure in der Oper“Hamlet”von Ambroise ThomasⒸHamburger Kunsthalle/bpk Foto:Elke Walford

 右手に剣を持つ男性。黒い衣装に身を包み、右足を一歩前に踏み出している。フランスの画家、マネが描いた、バリトン歌手ジャン・バティスト・フォールの姿だ。フォールは、19世紀後半にパリ・オペラ座で人気を博した歌手で、マネ作品の収集家でもあった。オペラ「ハムレット」の主役は当たり役で、引退記念に肖像画をマネに注文したという。足を踏み出すポーズといい、スケッチ風の描き方といい、アーティゾン美術館が所蔵するマネの自画像を思い出させる。

 本作は、隣に展示されている独・フォルクヴァング美術館蔵の最終作と比べれば、粗い筆致が際立つ。ところが、これが強い魅力を放っている。交差するような線で形づくられる両脚は、時に本来の形を超えて筆線がはねる。剣先は消えそうにかすれるものの、刃に光をたたえる。最終作が左腕に柔らかな布をかけているのに対し、本作はばっさりと布を投げ飛ばしているようだ。この布とて、しっかりとした形をもたず、何かの影のような不気味さがある。

 背景に溶け込むような帽子や、腰の辺りの背景にある暗色の短い線、そして両脚の描写からは、人物を形づくる途中ではなく、具象の人物が解体され抽象化されたみたいだ。例えば、今のドイツを代表する画家・ゲルハルト・リヒターを見慣れた私たちの目には、極めて現代的に映る。

 最終作は、細部まで滑らかに表す一方、表情は演劇のドラマチックさとは正反対の、魂を抜かれたようなうつろさがある。サロン(官展)に入選したが酷評され、フォール自身も出来に不満で、購入しなかったという。

PROFILE:

Edouard Manet(1832~83年)

フランスの画家。展覧会では、火災で焼失した旧オペラ座での仮面舞踏会を主題とする作品も紹介。上流階級の男性と踊り子や高級娼婦(しょうふ)の出会いを描いている。

INFORMATION

パリ・オペラ座 響き合う芸術の殿堂

2023年2月5日まで、東京都中央区京橋1の7の2のアーティゾン美術館(ハローダイヤル050・5541・8600)。月曜日(23年1月9日除く)と12月28日~23年1月3日、10日休館。オペラ座という場に花開いた芸術を音楽や文学なども含め多面的に紹介する。マネの自画像も4階で展示中。
公式サイト:https://www.artizon.museum/exhibition_sp/opera/

2022年12月26日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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