板谷波山《葆光彩磁花卉文花瓶》1928年ごろ、高さ23・4㌢、出光美術館蔵

 ◇葆光(ほこう)彩磁花卉(かさ)文花瓶

 うす暗い展示室でそれは自ら光を放つかのようだった。近現代の陶芸をリードした板谷波山の代表作。100年近く前に作られたものとは思えないほどモダンでもある。

 板谷はやきものの美を追究するなかで葆光(ほこう)彩磁という技法を見いだした。葆光とは「光を隠す、包む」の意。彩色した磁器に自ら調合した「葆光釉(ゆう)」をかけて焼くと、全体を薄布で覆ったようなサラサラとしたやさしい表情が生まれる。マットな器表にぼんやりと浮かぶのは彫って表したモクレン、梅、サザンカだ。

 東京美術学校彫刻科で岡倉天心らに学んだ板谷は卒業後、石川県工業学校に彫刻の教師として赴任。ところが学科改編に伴いやきものを教えることになる。このころ積んだ研さんが陶芸家への道をひらいた。上京後は、東京高等工業学校(現・東京工業大)に嘱託として籍を置き、作陶した。釉薬を開発したり、アール・ヌーボーといった海外の最新様式に触れ、作品に取り入れられたりしたのは、こうしてアカデミックな環境に身を置けたからだろう。

 葆光彩磁を手がけたのはわずか10年。その後は青磁、白磁など単色による表現や、東洋の古典に学ぶ作陶に移っていく。本展は、板谷にほれ込んだ出光美術館創設者、出光佐三(1885~1981年)による屈指のコレクションでその変遷を見せる。同館の徳留大輔学芸課長は「産地出身でも、実家が陶家でもないからこそ、最先端の動向と共に自らの美を存分に追究できた」と指摘する。弟子は取らなかった。釉薬の調合帳は残るが、未解明な点が多い。今後の研究が期待される。

PROFILE:

いたや・はざん(1872~1963年)

現在の茨城県筑西市に生まれる。生家は雑貨を扱う商家。1889年に東京美術学校(現・東京芸大)に入学。石川県工業学校(現・県立工業高校)の教職を辞して1903年、上京。東京・田端に窯を構え、作陶を続けた。

INFORMATION

生誕150年 板谷波山 ―時空を超えた新たなる陶芸の世界

21日まで、東京都千代田区丸の内3の1の1帝劇ビル9階の出光美術館(ハローダイヤル050・5541・8600)。月曜休館。

2022年8月8日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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