【アートの扉】 辻晋堂 詩人(大伴家持試作)古代人の「現代的」身体

文:高橋咲子(毎日新聞記者)

コレクション

彫刻

 薄い身体をS字にしならせ立つ男。ぴっちりとなでつけた髪形からして、身だしなみには気を配るタイプなのだろう。なのに、裸である。正確には薄い布を腰に巻いてはいるが、肝心なところは隠さずじまいだ。タカの鋭い爪が手のひらに食い込んでいるだろうに、当人は涼しい顔。しかも、彼は大伴家持だという。

1942年 木、墨 高さ196センチ、幅47センチ、奥行き41.8センチ 東京国立近代美術館蔵=大谷一郎撮影

 1942年の院展で日本美術院賞第1賞を受賞した辻晋堂の出世作で、荒々しい彫り跡が目を引く。近代の裸体彫刻に詳しい木下直之・静岡県立美術館長によると、戦士を表現した彫刻と古代人物像が増えるのが40年代だという。
 実に日本人らしい身体で、国を守るにふさわしい肉体美を誇るわけでもない。タカ狩りが好きだという逸話を感じさせるものの、端的に人となりを伝える衣装は着ていない。なぜ家持なのか。なぜ脱ぐのか。なぜ中性的なのか。

 明治以降、西洋彫刻を学んだ日本人が彫刻家であることを自覚したとき、日本人の身体を作るべきだという意識が生まれてきたはずだと、木下館長は指摘する。院展という「日本の美術」を生み出そうとした集団に属したことも、その意識を高めたと見る。

 東京国立近代美術館の成相肇主任研究員によると、モデルは実在の人物だった。「家持像には、その名に反して、現代日本人の身体を表現したいという意欲がある。写実的にでもなく、理想化もせず、独自の造形表現を追求している」(木下館長)。中性的な姿も、モデルが持つ雰囲気だったのだろう。とはいえ、なぜ家持の裸でなければならなかったのか。残った謎を、もう一度美術館で考えてみよう。

PROFILE:

つじ・しんどう(1910~81年)

鳥取県生まれ。上京後、日本美術院同人に。当初はロダンに影響を受けたが、次第に独自の表現を志すように。戦後は京都に拠点を移し、陶土を用いた抽象的な陶彫作品で国際的に活躍した。

INFORMATION

所蔵作品展 MOMATコレクション

10月2日まで、東京都千代田区北の丸公園3の1の東京国立近代美術館(ハローダイヤル050・5541・8600)。月曜(9月19日除く)と9月20日休み。

2022年7月25日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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