藤田龍児《啓蟄》1986年、縦72.8センチ×横91センチ、油彩・カンバス

【アートの扉】
藤田龍児 啓蟄
生の起伏うららかに

文:平林由梨(毎日新聞記者)

現代美術

 虫が元気よく羽音を立て、エノコログサが穂を天に伸ばす。春の兆しを感じさせる牧歌的な情景だがどこか神秘的な一枚だ。

 作者はこの作品を描く10年前、48歳で脳血栓で倒れた。翌年に再発し右半身が不随になった。日本を代表するシュールレアリスト、福沢一郎が設立した美術文化協会に所属して描いていたが、作品の大半はその時に廃棄した。画家として生きることを一度は諦めた。しかしその後、筆を左手に持ち替えて再起。抽象的なモチーフがせめぎ合うそれまでの作風を一転させ、メルヘンチックな風景画を制作の中心とした。

 のどかだけれど、どこかうら寂しさが漂うのは下地に黒を用いた効果だろう。明るく白い空もどこか暗さを秘めている。生涯を通して描き続けたエノコログサへの思い入れは、ニードルでひっかいて描いた緻密な線と宝石のように輝く色彩に表れている。東京ステーションギャラリーの冨田章館長は「虫や草の生命力は作家の再生を象徴し、蛇行する道、起伏に富む地形には画家の人生が重なる」と語る。

 本展は、コロナ禍で予定されていた海外展が延期になったことに伴い実現した。「短期間で準備できる展覧会を」と、同館の学芸員らが企画を出し合い、藤田作品の展示に至ったという。

 藤田のものと共に作品が並ぶアンドレ・ボーシャン(1873~1958年)は仏の素朴派画家。戦争で農園を失い、妻が精神に異常を来すという困難に直面し、描き始めた。彼らが描いた風景は確かに牧歌的だが、そこには苦難を抱えて歩む人間の痕跡も記録されている。

PROFILE:

ふじた・りゅうじ

1928年、京都市生まれ。現在の同志社大工学部を中退し、大阪市立美術研究所で絵画を学ぶ。59年に美術文化展初入選。76年に脳血栓を発症、その後再発して半身不随となったが、81年復活。2002年に亡くなるまで制作した。

INFORMATION

牧歌礼讃(らいさん)/楽園憧憬(しょうけい) アンドレ・ボーシャン+藤田龍児

7月10日まで、東京都千代田区丸の内1の9の1の東京ステーションギャラリー(03・3212・2485)。月曜休館(5月2日、7月4日は開館)。2人の計114点を紹介する。

2022年4月25日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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