篁牛人「ダモ」1970年ごろ、個人蔵

【アートの扉】
篁牛人「ダモ」
だるま包む多幸感

文:平林由梨(毎日新聞記者)

日本美術

 アシの葉に乗って海を渡るだるまの姿を描いた「蘆葉達磨(ろようだるま)」は東洋画の一般的な画題だが、こんなだるまは見たことがない。人が言葉と出合う前の、全身で世界と対峙(たいじ)する生命そのもののようだ。

 牛人は生まれた富山の外ではあまり知られることのなかった、歴史に埋もれた画家だ。藤田嗣治をほうふつとさせる細くたおやかな筆線と、時に紙が毛羽立つほど強く、乾いた筆で墨をすり込む「渇筆」という技法で豪放に描いた。酒が手放せず、放浪生活を選んだ時期もある。どんな団体にも所属せず、独りで描いた。

 渇筆に耐える麻紙は高級品だ。なかなか自分では用意できない。地元の医師、森田和夫さんはそんな牛人にほれ込み、身代をつぶして画材やアトリエを与えた。牛人は「こんな大きな紙に描きたかった」と、64歳ごろから次々と大作を手がける。中国の故事などを独自に解釈し、大胆な構図のもと、温かみと量感をたたえた肉体や動物を、下書きなしで一気に描いた。

 だるまが乗るのは、アシというよりはバナナの葉のような南国の植物。カッパたちが押し、先頭のカワウソが引っ張っている。カラスが運ぶひょうたんには酒が入っているに違いない。それがあたりに飛び散っている。黒々とした太陽の下をゆっくりと流れていく。その様は、だるまを意味する「ダモ」という言葉の響きとも相まって不思議な多幸感に包まれている。

 「ボッティチェリのビーナス誕生にも通じるものを感じる」と田中知佐子主任学芸員は笑い、「古典を〝オレ流〟に解釈し、自身のリアリティーに引き寄せて描いた」と魅力を語る。水墨画のイメージが覆る。

PROFILE:

たかむら・ぎゅうじん(1901~84年)

現在の富山市に生まれる。生家は浄土真宗の寺院で本名は浄信。富山県立工芸学校卒。43歳で召集され、シンガポールやマレーシアを転戦する。50代半ばごろからの約10年は放浪的な生活を続けた。

INFORMATION

昭和水墨画壇の鬼才 生誕120年 篁牛人展

2022年1月10日まで、東京都港区虎ノ門2の10の3の大倉集古館(03・5575・5711)。12月27日、29日~1月1日休館。水墨画を中心に約50点が並ぶ。

2021年12月27日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

シェアする