中村彝「川尻風景」1907年ごろ、油彩、カンバス、縦38.1センチ×横45.4センチ、ポーラ美術館蔵

【アートの扉】発見!お宝
ポーラ美術館/3 中村彝「川尻風景」
モネの海に挑む筆致

文:内呂博之(ポーラ美術館学芸員)

コレクション

近代美術

 朝焼けの頃であろうか。強い日差しを浴びた日向(ひなた)にはあざやかな朱色や黄色、対して日陰の箇所には原色の青や緑を用い、力強く素早い筆致で断崖を望む海岸の情景が描かれている。画面左下に「T.N.」と記した制作者は、1887(明治20)年に現在の水戸市で生まれた中村彝であると特定されている。

 彝は軍人であった兄の影響によって陸軍中央幼年学校に通うが、17歳の頃に結核を患い、学校を中退して画家を目指した。本作品は茨城県日立市の川尻に滞在した1907年ごろに制作されたとされるが、様式的にはこの時期の彝は穏やかな色彩と柔らかい筆致を特徴とする印象派風の作品を描いていたことから、本作品は鮮やかな原色と素早い筆致を用いるようになった大正初期に制作された可能性も指摘できる。後者の場合、病をおして旅行した伊豆大島の海岸風景がモチーフになっているかもしれない。

 制作年や制作地に諸説あるものの、本作品に描かれた風景は、印象派の画家クロード・モネとの関連を示す唯一のものとしても知られる。12(大正元)年9月13日発行の「現代の洋畫」誌上にモネの「エトルタの岩」がカラー図版で掲載されたが、断崖が海に突き出ている構図や前景左から後景の断崖へと向かう斜面の傾斜の様子などが奇妙に合致している。一方、絵画研究所に通っていた06~07年ごろにすでにモネの原色版の海の絵を模写していたという証言もあるが、いずれにせよ本作品はモネの海景画をその図版を元に改作したものである可能性が指摘できよう。

PROFILE:

なかむら・つね(1887~1924年)

茨城県で生まれる。太平洋画会研究所で中村不折(ふせつ)、満谷国四郎に師事。レンブラントやルノワールの影響を受け、「エロシェンコ氏の像」「田中館博士の肖像」など肖像画や人物画に秀作を残した。肺結核のため37歳で死去。

INFORMATION

ポーラ美術館(0460・84・2111)

本作は、水にまつわる作品を選んだコレクション展「水の風景」で紹介している。彝の「泉のほとり」も並ぶ。2022年3月30日まで。無休。神奈川県箱根町仙石原小塚山1285。

2021年11月22日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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