川瀬巴水「平泉金色堂」 1957年、木版、紙、渡辺木版美術画舗

【アートの扉】川瀬巴水「平泉金色堂」人生の旅路、踏みしめ

文:平林由梨(毎日新聞記者)

日本美術

 雪を踏みしめる音だけが響く静かな風景。旅先を詩情豊かに木版画で表した川瀬巴水の絶筆だ。誠実な写生に基づく端正な構図で見るべきものを的確に切り取った作品が多い中にあって、これは雪を降らせる灰色の空へと視線が引っ張られるような不思議な作品だ。

 胃がんに侵されながらこの作品のために筆を執った巴水だが、完成させることなく74歳で亡くなった。仕上げたのは、その才能を引き出し、版元として支え続けた渡辺庄三郎だった。

 本作の元となった写生は、その20年以上も前に旅先の岩手・平泉で描いていた。12世紀に建立した中尊寺金色堂がうっそうとした木々に囲まれている。写生した直後には、それを元に本作と同じ構図の版画「平泉中尊寺金色堂」(1935年、展示は前期で終了)を残している。こちらは、木々が石畳に影を落とすほど明るい夏の夜だった。

 版元に恵まれ、全国を精力的に歩き、海外でも高い人気を得た巴水だが、描けなかった時期もあった。自身が中核を担った、彫り師、刷り師らと協働で仕上げる「新版画」と、すべて一人で担う「創作版画」が、その芸術観を対立させ、論争になったためだ。50歳を過ぎた巴水はそれまでに積み上げた画業を顧みることになった。シリーズ作品を完結させられない苦い経験もした。本展はこの「スランプ」期にも光を当てる。

 療養しながら、昔の写生帳を引っ張り出したのだろうか。しんしんと降り積もる雪景色に、巴水は前作にはいなかった僧侶を描き入れた。その背には、起伏に富む人生の旅路を終えようとする、巨星の姿が重なる。

PROFILE:

かわせ・はすい(1883〜1957年)

現在の東京都港区に生まれる。本名は文治郎。27歳で日本画家の鏑木清方に入門し、「巴水」の画号を得る。コレクターは海外にも多く、米アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏も多数、所有した。

INFORMATION

川瀬巴水 旅と郷愁の風景

12月26日まで、東京都新宿区西新宿1の26の1のSOMPO美術館(ハローダイヤル050・5541・8600)。11月16日と月曜休館。17日から後期展示。風景木版画約190点の他、写生や版木、記録映像を紹介する。

2021年11月15日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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