小早川秋聲「紅頭嶼所見」 1925年ごろ 絹本着色 個人蔵

【アートの扉】小早川秋聲
紅頭嶼所見
高波かきわけ進む小舟

文:高橋咲子(毎日新聞記者)

近代美術

 「舟はつぎつぎに白波を切った。戦いに出て行く小縦隊のようだった。太陽はジザピタン山の頂きにはまだのぼっておらず、おだやかな早春の朝の光が海面を紺碧(こんぺき)に染めていた」

 台湾の南東沖にある島、蘭嶼(らんしょ)(紅頭嶼)。原住民族(台湾先住民族の正式名称)・タオ族の作家、シャマン・ラポガンは「黒い胸びれ」(魚住悦子訳)でシイラ漁の様子をこう書いている。

 「旅行狂人」の異名があった小早川秋聲は、20代半ばから外国を訪れ、欧米やインド、エジプトにまで足を延ばし、湿潤な大気と共に情趣を描いた。危うく死にかけたこともあったといい、スリルも好んだようだ。1925年夏には台湾東海岸を訪れ、蘭嶼にも行った。その際の感興を表したのが本作だ。

 両端がはねあがった舟は、タオ族の伝統的な木造船「チヌリクラン」。高い波をかきわけ、ふんどし一つの男たちが乗った舟が進む。簡略的なタッチながら、舟の模様まで描き出そうとしている。

 怖い物知らずの秋聲は舟に飛び乗り、ジェットコースターのような心地を味わったようだ。漁は夜から明け方に行われることがあり、あるいは月下の情景かもしれない。

 台湾東部で原住民族の集落を回った秋聲。図録によると、台北で当時原住民族について誰よりも詳しかった森丑之助らしき人物と会っており、危険も伴う旅は森の手引きもあっただろう。

 旅の作家は30年代になると、戦地へと赴く先を変えるが、そこで描いたのも、過酷な状況下に置かれた兵士たちのある種の実感だった。

PROFILE:

こばやかわ・しゅうせい(1885〜1974年)

本名は盈麿(みつまろ)。大正から昭和にかけて京都を中心に活躍した日本画家。鳥取生まれ。9歳で僧籍に入った後、画家を志す。国内外を旅した後、従軍画家として何度も戦地に赴いた。

INFORMATION

小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌

28日まで、東京都千代田区丸の内1の9の1の東京ステーションギャラリー(03・3212・2485)。代表作で異色の戦争画「國之楯(くにのたて)」も展示。月曜日(22日は除く)休館。鳥取県立博物館に巡回予定。

2021年11月8日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

シェアする