エミール・ガレ「海藻と海馬文花器」1905年ごろ、高さ10.8センチ、径10.5センチ、ポーラ美術館蔵

 透明のガラスを地として、赤色のガラスが被(き)せられている。2色のガラスの間に緑色のガラスの帯が部分的に封入されており、これは海藻の色彩を表している。異なる色彩のガラスを何層も重ねることで、ニュアンスに富んだ深みのある世界を表現するのが、ガレの真骨頂だ。

 海藻とともに意匠化されているのは、海馬(タツノオトシゴ)である。1870年に出版されたジュール・ベルヌの「海底二万里」の流行に代表されるように、19世紀後半は海の世界に対する好奇心がひときわ高まりを見せ、海洋学が大いに進展した時代。パリ万博が開催された際には水族館が建設されたことからも、水中の世界に対する当時の熱狂の高まりがうかがえる。

 口縁部には詩の一節が刻まれている。ガレが用いた「もの言うガラス」と呼ばれるこの手法は、さまざまな詩文からの引用により、作品の隠された主題を開示しつつ、そこに凝縮された世界を注釈するものである。この作品に刻まれているのは、象徴派の詩人であるシャルル・ボードレールの「人間と海」という詩の一節だ。「人間よ、きみの深淵(しんえん)の底を測った者は誰もいない。おお海よ、何人(なんぴと)もきみの心の奥の富を知らぬ」(阿部良雄訳)

 人間が深海の暗い奥底に秘められた富の豊かさをうかがい知れないように、人間の心の深淵もまた容易には理解できない。高さ10・8㌢、径10・5㌢と小さな花器ではあるものの、作品に表現された世界の射程は、その限りではない。ガレが入念に選んだ言葉の魔術的な力によって、鑑賞者の想像力はいっそう深く象徴的な海の世界へと誘われる。

PROFILE:

Émile Gallé(1846~1904年)

仏ナンシー出身。19世紀末、アール・ヌーボーの運動で、ガラス工芸の第一人者として活躍する。博物学的な知識とガラス製造の卓越した技術を用いて芸術性に富んだ作品を生み出した。

INFORMATION

ポーラ美術館(0460・84・2111)

本作は、2022年3月30日まで開催するコレクション展「水の風景」で紹介している。クロード・モネ「バラ色のボート」など、水にまつわる作品が並ぶ。無休。神奈川県箱根町仙石原小塚山1285。

2021年11月1日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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