共産党統治下のチェコスロバキア(当時)では1950年代以降、芸術家たちは監視下に置かれた。68年に首都プラハがソ連軍に占領されると、すべての表現は検閲にさらされた。シスは、その分厚い監視の隙間(すきま)から浸透する米国や英国のポップカルチャーに心を躍らせ、幾度も秘密警察に呼ばれながらも、自由を希求し続けた自身の姿を、この代表作の絵本で表した。
本展では、シスが祖国で手がけたシュールなアニメや、米国で描いた色鮮やかな絵本の原画などから、その人生を通し、抑圧の「闇」や、解放への「夢」が織りなす世界を見せる。
サーチライトに照らされながら空を飛ぶ自転車が目指すのは、かなたのニューヨークだ(小さく自由の女神が見える)。抗議の焼身自殺をした大学生、国境の閉鎖、ロックバンドのメンバーの投獄、人を見れば密告者ではないかと誰もが疑う社会——。絵本では、当時のプラハで起こっていた息が詰まる現実が列記された後、この絵が登場する。自転車の推進力は「かべ」の中でも諦めずにシスが描き続けた絵の翼だ。
我が子にその出自を示すためにこの絵本を制作したシス。40歳で米国の市民権を得たその年にベルリンの壁は崩壊した。
この重い歴史は過去のものだろうか。8月に閉幕した東京オリンピックではベラルーシの選手が帰国を拒否し、ポーランドに亡命した。アフガニスタンやミャンマーでは表現や報道の自由が厳しく制限されている。練馬区立美術館の小野寛子学芸員は「今この時代にも自分の権利のために戦う市民がいる。シスの作品は、そうしたことへの想像力をかき立てる普遍性もある」と話す。
PROFILE:
ピーター・シス(Peter Sis)(1949年生まれ)
チェコスロバキア(現・チェコ共和国)のブルノで生まれ、3歳から約30年間は首都プラハで過ごす。アニメーション制作のため33歳で渡米。帰国を迫られるも拒否し、絵本作家として米国で評価を確立した。
INFORMATION
ピーター・シスの闇と夢
11月14日まで。東京都練馬区貫井1の36の16、練馬区立美術館(03・3577・1821)。月曜休館。国内では初の大規模個展。2023年に伊丹市立美術館(兵庫県)に巡回予定。
2021年10月4日 毎日新聞・東京夕刊 掲載