月岡芳年「風俗三十二相 むまさう 嘉永年間女郎之風俗」 1888年 太田記念美術館蔵

 満月の輝く夜、建物2階の縁側で女性がにこやかな表情をしている。右手に持つ串の先に刺さっているのは、天ぷらだ。しっぽがあるので魚であろう。メゴチかキスだろうか。染付(そめつけ)の大皿に天ぷらが盛られ、縦じま模様のそばちょこには、天つゆがなみなみと注がれている。

 江戸時代の庶民に人気のグルメといえば、そば、すし、うなぎ、そして、天ぷらである。江戸の町でいう天ぷらとは、魚介類にうどん粉をまぶして、ごま油で揚げたもの。アナゴや芝エビ、コハダや貝柱などが好まれた。天ぷらは油を使うため、火事になるのを警戒し、はじめは屋外の屋台で販売されていた。値段も安く、立ったまま気軽に食べる江戸っ子たちのファストフードである。それが幕末の嘉永年間(1848~54年)の頃、この浮世絵が設定している時代になると、衣に卵を使った高級天ぷらを出す店も登場し、座敷でも食べられるようになった。

 さて、この作品は、月岡芳年が晩年に手掛けた美人画の代表作である。女性たちの上半身をクローズアップし、うれしそう、寒そう、痛そうといった、心の内面を描き出そうとした揃物(そろいもの)だ。題名となっている「むまさう」とは「うまそう」のことで、天ぷらがおいしそうだという気持ちを、わずかにほころんだ口元と、あごにあてた手の動きで表現している。

 ここで注目したのが、女性の視線だ。天ぷらではなく、反対側を向いている。おそらく隣には親しい間柄の誰かがおり、天ぷらがおいしそうだと語りかけているのであろう。同じ食事を共有できる人が一緒にいることで、その味は何倍もおいしく感じられるに違いない。

PROFILE:

月岡芳年(つきおか・よしとし)(1839~92年)

幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師。幕末には、残酷な血みどろの表現を用いた物語絵で話題を集めた。明治時代には、西南戦争画や新聞錦絵、歴史画などを手掛け、明治の浮世絵界をけん引した。

INFORMATION

太田記念美術館(ハローダイヤル050・5541・8600)

日本らしい風景や文化を描いた浮世絵を集めた「ニッポンの浮世絵」展が開催中。月岡芳年のこの作品も展示している。12月13日まで。東京都渋谷区神宮前1。
※「ニッポンの浮世絵」展は終了しました。

2020年11月16日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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