ネパールの美術調査旅行で目にした街の風景=2017年、筆者撮影

【ART!】はずれ者が豊かさをつくる

文:趙純恵(チョウ・スネ=福岡アジア美術館学芸員)

 <実際の自然界には「平均値」はありません。「ふつう」もありません。あるのは、さまざまなものが存在している「多様性」です>

 これは、2021年の国語の中学入試で最多の出題数と言われる『はずれ者が進化をつくる 生き物をめぐる個性の秘密』からの引用である。本書は、植物学者の稲垣栄洋(ひでひろ)氏が、「はずれ者」とされる個性を持った動植物の生存戦略を紹介し、それらがいかに生物多様性を生み出し進化を促してきたのかを、自然科学的知見をもとに解説した本である。この本にいたく感動した理由にはいくつかあるが、それを解説するには僭越(せんえつ)ながら自分の生い立ちを簡単に説明する必要があるだろう。

 韓国にルーツを持つ在日コリアン2世の両親のもとに東京で生まれた私は、日本全体が好景気に沸いていた社会のなかで育った。しかしバブル崩壊や阪神大震災、地下鉄サリン事件など、社会を震撼(しんかん)させる災害や事件が立て続けに起き、幼心に「ただならぬ世の雰囲気」を感じていたことは覚えている。

 激しく変容する日本社会のなかで、在日コリアンという日本社会の「はずれ者」として生きることへの葛藤を抱きつつも、自らの目で見たもの、体験したことを緻密に描いていくことにのめり込み、芸術大学に進学することになる。大学時代は、自分の世界に閉じこもるような作品制作に早々に興味を失い、社会的マイノリティーや、移民を意味するディアスポラ、アジア地域の美術に関心が移っていった。中心やマジョリティーに対しての周縁的な人々の美術表現は、まさに「はずれ者」であり、それらの作品を調査して美術史的文脈に位置付けることが人生のテーマとなっていった。

 今、私は福岡アジア美術館の学芸員である。福岡アジア美術館は1999年、アジア地域の近代から現代までの美術を専門的に扱う、世界で唯一の美術館として福岡市に誕生した。特徴は何と言ってもコレクション。アジア美術の近代から現代へ至る流れを系統的に示す作品の収集はもちろん、アジア地域の民俗芸術や民族芸術、大衆芸術などの、本来「美術でないもの」も収集している。

 当館は、西洋的な概念である美術の枠組み自体を疑い、アジアひいては日本の九州から新たな価値を創造していこうという理念を持っている。それは、「正しい」美術から疎外されたはずれ者たちから美術史をみつめて、既成の美術概念を超えていくという心意気なのだ。

 8年前の出勤初日、自分のデスクに座るやいなや、目の前にアジアのアーティストや研究者たちが残していった大量の置物や人形が目に入った。これまであまり見なかったその光景に、東京という圧倒的な中心に対して、限りなく大陸に近い「九州」にアジアを専門とする美術館があり、その学芸員になったことに運命を感じた。

 「はずれ者が進化をつくる」、これは美術の世界にもいえることだろう。進化の先には豊かさがあるのだと信じる。1年間、この九州からささやかに「はずれ者の美術」を発信したいと思う。

2024年4月14日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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