狩野探幽筆「四季耕作図屛風」(部分) 江戸時代 東京国立博物館蔵 出典:ColBase
狩野探幽筆「四季耕作図屛風」(部分) 江戸時代 東京国立博物館蔵 出典:ColBase
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【ART!】ギフトよ、届け

文:稲庭彩和子(いなにわ・さわこ=国立アートリサーチセンター主任研究員)

日本美術

 クリスマスにお正月。年末年始は贈り物の季節だ。「贈る相手」を思い浮かべ、次に「届けたいもの」を想像する。しかし贈る相手にぴったりくるものを考えるのは意外と難しい。実はこの相手を考える時間も大切な贈り物の一部だから、それを避けては通れない。贈り物はそもそも、金銭的価値では換算できない「宛先」を思う力を帯びて「贈り物」になる。

 美術館にある作品は、ある意味、宛先が不定の贈り物(ギフト)だ。過去にある人が作ったものを、誰かが「他の人に伝えなければ」と思い、時間を超えて手渡してきたものが集まっている。美術館は、誰かがある日偶然にその大切なものに出会い感受できるよう、作品を保存し研究し展示をしている。美術館は公に広く開かれた形で、そうしたお金では換算できない感受するギフトが集積している。

 宛所(あてどころ)不定のそのギフトは、誰に届くのか、誰に届けるのか。誰かが社会の状況に合わせて宛先を想像し続けないと、そのギフトを受け取れる人が少なくなる。しかし諸外国に比べて日本の美術館は宛先を広げることにそれほど注力してこなかった。「贈る相手」への多様な回路を作る専門家も少ない。美術館の中心的価値をつくっている美術史学では「贈る相手」への関心は範疇(はんちゅう)ではないから、ということもあるかもしれない。

 私が大学院で日本美術史を学んでいた頃、室町末期から江戸時代の終わりまで数多く制作された「四季耕作図」と呼ばれる屛風(びょうぶ)について調べていた。昔、米は納税物として重要であったから、その稲作の様子が描かれた屛風は「百姓のあるべき姿」を示す役割もあったようだ。しかしそれは味気ない図ではなく、農耕の営みが穏やかに優しく描かれている。見る人は風景の中に引き込まれる。これらの屛風を当時どのように愛(め)でていたのか。その屛風を介して人と人の間にどのような会話が生まれたのか、関心を持った。しかし屛風や制作者の研究はあっても、その屛風を人々がどのように感受したかは記録に残りにくい。美術作品は作り手と鑑賞する側の両者がいて初めて社会的に成り立つが、鑑賞者側にどのような価値をもたらしているのかはあまり論じられてこなかった。

 日本の美術館では1990年代ごろから教育普及活動として、作品を届ける相手を広げていく機会が少しずつ増えた。かくいう私もそうした活動に学芸員として従事してきたが、私の本意は教育普及というよりも、過去からのギフトがそれを必要としているかもしれない人に、そっと届く回路を多様に作ることにある。人は長い歴史の中で、人の営みのエネルギーを贈り贈られることで、人と人が繫(つな)がったり、励まされたり、次のアクションを起こす力に繫げたりしてきた。そうした誰かからのメッセージや願いを帯びた、お金に換算できないものを体験してしまう「ギフト」の力を作品は帯びている。

 美術館はパブリックの存在として「宛先」への回路を多様に想像する責任がある。そうした活動を現在ではエンゲージメントと呼ぶことも増えてきた。作品は社会の中で重要なエネルギー回路をつくる。今日も宛先に想(おも)いを巡らす。届け、と思いながら。

2023年12月10日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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