◇パリージ・プレシッチェさん「高級ブランドが修復支援」
「永遠の都ローマ展」が東京・上野公園の東京都美術館で開かれている。ローマのカピトリーノ美術館の所蔵品を中心に、ローマの歴史と芸術を紹介する展覧会(12月10日まで、来年1月から福岡市美術館で開催)だ。日常を生きる現代人にとって、歴史を知ることはどのような意味を持つのか。来日した本展監修者でローマ市文化財監督官のクラウディオ・パリージ・プレシッチェさん(63)に、ローマの文化財保護の取り組みについて聞いた。
ローマが長い歴史のなかでいかに文化財を受け継いできたか。その象徴のような場所がカピトリーノの丘にある、カピトリーノ美術館だ。歴史は1471年、教皇シクストゥス4世が4体の古代彫刻をローマ市民に返還・寄贈したことにさかのぼる。
「ミュージアムという概念は近代に生まれたものです。それもローマで生まれたものだと考えています」と、パリージ・プレシッチェさんは話す。ローマの有力家系は、邸宅の庭に大理石像や貨幣、古代の建造物の断片を飾り、過去の歴史を継承していることを示そうとしたという。これら文化財は、シクストゥス4世によってカピトリーノの丘に移され、コンセルバトーレと言われる行政官が管理するようになった。
1734年に美術館として公に開かれ、体系的な展示が行われた。「開館した際、ローマ教皇は教育の場と見なしていました。欧州中から若い芸術家が集まり、古代彫刻をデッサンし、着想を得て自分たちの作品に取り込んだのです」
本展で展示されている「カピトリーノの牝狼(メスオオカミ)」は、ローマの建国神話を表している。オリジナルは紀元前5世紀に作られた、現存するイタリア最古のブロンズ像。近年の調査では、内部に残るテラコッタの型から職人の指紋が発見されたという。
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今年6月、トッレ・アルジェンティーナ広場は多くの人でにぎわっていた。共和政時代の神殿遺跡が残る重要な地で、カエサルが暗殺されたのもこの場所だと言われている。文化財監督官として調査修復を指揮し、遺跡を「古代ローマ人が歩いていたように」間近から見学できるようにしたのだ。
この修復に資金提供したのが、宝飾ブランドのブルガリだった。日本ではファッションブランドが遺跡の発掘や修復を支援するという例はあまり聞かない。「ブルガリは、トリニタ・デイ・モンティの大階段(通称スペイン階段)にも資金提供し、フェンディはトレビの泉の修復を支えた。ローマ発のブランドなど民間企業の寄付によって修復が可能になり、一般公開できたものがいくつかあります」。歴史の重要性を、ファッションブランドも深く理解しているということだろう。
文化財監督官とはどのような仕事だろう。「ローマ市全域にある文化財全てが私の責任の対象です」。欧州で2番目に大きな都市ローマにある、約250の考古学地域、約300の歴史的噴水、42の庭園付き大邸宅、約900の記念碑に、20以上の市立博物館……と途方もない数だ。
目を引くのは「世界で唯一」だと強調する、建造物に関する保護規制だ。個人所有であっても、現代の建物であっても、文化的価値が高いとされた建物は、文化財監督官の許諾がないと改修さえできない。
対象となるのは、建築家や都市景観学者、美術史家による専門委員会が指定する建造物。所有者は指定を拒むことができないというのにも驚く。名建築が次々姿を消す日本の現状とつい比較してしまう。「東京に来てその様子はずいぶん感じました。イタリア、特にローマでは、それが集団の歴史的記憶である場合は、個人の邸宅であってもみんなの財産だという考えがあります」
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パリージ・プレシッチェさんは、アドリア海に面したイタリア中部の街、ペスカーラで生まれた。親はエンジニアになることを期待したが、「高校の時ラテン語とギリシャ語の先生に出会い、古代世界に魅了された」と話す。
「35年前にカピトリーノ美術館で働き始め、以来、歴史を語ることを使命としています」
最後に尋ねた。せわしない日常生活では歴史は簡単に忘れられる。歴史や文化財が、今を生きる私たちにもたらす意味はなんだろう。
「イタリアには有名な言い回しがあります。〝La storia è maestra di vita 〟(歴史は人生の師である)。歴史的建造物は、我々に過去にどのような歴史があったかを思い出させ、同時に歴史的な失敗も学ばせてくれます。このようなことを二度としてはならないと、歴史的モニュメントを通じて知るのです。そして、我々も歴史の一部であると、いずれ歴史になると自覚させてくれるわけです」。これで答えになりましたか、と穏やかにほほえんだ。
2023年10月30日 毎日新聞・東京夕刊 掲載