東京・上野の東京都美術館で個展が始まった荒木珠奈さん(1970年生まれ)の作品は親密なあたたかさを宿す一方、時にえも言われぬ「異物感」を放つ。作品との対話から、和んだり、ざわついたり、遠い記憶が呼ばれたり、ここではないどこかへと想像が促されたり。そんな空間が広がる。
荒木さんは20代でメキシコに渡り、美術を学んだ。現在はニューヨークに拠点を置く。初の回顧展となる本展タイトルは「うえののそこから『はじまり、はじまり』荒木珠奈展」という。美術館地下に鎮座する巨大インスタレーションへと向かうように配置された約90点からなる構成は、見知らぬ物語をたどるようだ。
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展示は、来場者がオルゴールのねじを巻くところから始まる。耳なじみのあるメロディーと共に歩む先に初期の版画作品が並ぶ。手のひらサイズの木箱に銅版画を折り畳んだ「昼」「夜」(共に99年)は、行く先々に持参し、組み立てて鑑賞できる作品だという。旅先の枕元や車窓に置かれた景色が浮かぶ。
「Caos poetico(詩的な混沌(こんとん))」(2005年)は、無秩序に絡まり合う電線の中で色とりどりの紙箱が輝く作品。鑑賞者は電球を内蔵した箱を選んで天井から延びるソケットに差し込む。するとあかりがつく。メキシコ市の山裾に並ぶ家々に着想を得たといい、そこには電柱からおのおの、線を引いてしたたかに生きる人々がいる。
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一方、いくつもの木箱が壁に取り付けられた「うち」(99年)は団地のような姿をしている。鑑賞者はカギを使って扉をひとつだけ、開けられる。ミツロウが塗られた内部にはテーブルを囲む家族や、独りたたずむ人の姿が描かれた。隙間(すきま)や塗りむらのあるいびつな箱は一様ではない人の生き様にも重なる。乾いた大地に止まったチョウがテントのように見える「Refuge 1」(21年)は、越冬のため数千㌔を渡るモナークチョウと、国境を越えようと危険を冒す難民から連想して制作した。
そして「上野の記憶」をテーマに同館から依頼を受けた新作「記憶のそこ」に至る。巨大な手によって上部を握り封じられた鳥かご様のものは高さ約6㍍と見上げるほどだ。黒々と光っている。その周りをいくつもの鏡が浮遊し、上野で撮影された新旧の映像をきらきらと反射する。「かご」の一部は力ずくで押し広げられたかのように湾曲している。荒木さんはこの新作について「人がやってきては出て行き、さまざまなものをのみ込んでは吐き出す、そんな上野のイメージを託した」と話す。
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本展では、総勢約100人の「展覧会ファシリテータ」が鑑賞の手助けをする。研修を受けたボランティアが、「うち」ではカギを手渡したり、地下のインスタレーションでは「かご」に入ってみるよう促したりする。彼女、彼らに作品に抱いた感想を打ち明けてみるのも良い。物語がよりくっきりとした輪郭を帯び始めるに違いない。10月9日まで。
2023年8月21日 毎日新聞・東京夕刊 掲載