2009年に撮影された「3号倉庫」外観=ギャラリー58提供
桑野義政さん=桑野進さん提供

 名前も顔も明かさず、2000年から10年間、福岡市で若手アーティストらの活動場所を提供し続けた篤志家がいた。「あしながおじさん」と呼ばれ、昨年、95歳で亡くなった税理士、桑野義政さん=写真=だ。博多湾に面した同市中央区の倉庫街に開設した共同アトリエ兼ギャラリーは「3号倉庫」と名付けられ、11年に閉鎖するまで9期にわたって24人が利用した。

 若手アーティストにとって、美術大を出た後の制作場所の確保は大きな課題だが、3号倉庫は光熱費月1万円で利用できた。桑野さんは10年という期間を定め、改装や運営にかかった費用5000万円超を負担した。

 前衛芸術集団「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」のメンバーだった美術家、故・風倉匠さんらがディレクター役を担い、利用者の制作に並走した。ほとんどの利用者はここを巣立った後も制作を続けているといい、7月には銀座の「ギャラリー58」で「風倉匠と3号倉庫の作家たち」という展覧会も開かれた。風倉さんがパフォーマンスで使った送風機を用いたインスタレーションなど8人が新作を発表した。

 桑野さんは、3号倉庫で展覧会が開かれるとそっと訪れることもあったが、制作や作品に口を出すことはなかったという。正体を明かしたのは支援期間が終わる11年4月、最後の展覧会の最終日だった。

 画家で福岡市の美術予備校代表を務める長男、進さん(68)が「美術の授業をしない高校が増えている」と桑野さんに話したことが支援のきっかけとなった。桑野さんは「何とかしたい」と周囲に相談。「中学校の軍事教練の合間に絵の描き方を教わった時間が父にとって特別なものとして心に残っていたようだ」と進さんは振り返る。地元ギャラリーのオーナーから受けた「若者に制作の場を提供しては」との助言に、自身の思いと重なるものを感じて決意した。

 ギャラリー58のオーナー、長崎裕起子さんは「桑野さんは見返りを一切求めず、支援を続けた。九州のアートシーンに確かな痕跡を残した3号倉庫と共に、こうした人物がいたことを多くの人が記憶にとどめてほしい」と話す。

2023年8月14日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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