6月22日に102歳で亡くなった画家で文化勲章受章者の野見山暁治さんのお別れの会が7月22日、福岡市博多区のホテルオークラ福岡で開かれ、親交のあった美術関係者ら約500人が参列した。
野見山さんは福岡県穂波村(現飯塚市)出身。東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業し、1958年に第2回安井賞を受賞した。2000年には文化功労者に選ばれている。鈍い光を放つ色彩と奔放な筆致で抽象的にも見える絵画世界を切り開き、戦後日本の美術界を主導する存在だった。老境に入っても創作意欲は衰えず、存在感を増していった唯一無二の画家といえる。22年夏以降は東京から福岡県糸島市に拠点を移し、制作を続けていた。
お別れの会で、友人代表の画家、入江観(かん)さん(88)は「野見山さんと一緒に過ごす時間は豊かで、私にとっての喜びでした。野見山さんは語り尽くせない魅力を持った人。十分に生き抜かれたとは思うが、残された私たちは大きな寂しさをどう埋めていけばよいのか」と悔やんだ。参列者に対しては「皆さんそれぞれがお持ちの野見山さん像を今後も大事にしていただきたい」と呼びかけた。
秘書で養女の山口千里さんは「類のない大作家でした」と故人をしのんだ。北は北海道から南は鹿児島まで、全国52の美術館に野見山さんの作品を寄贈したことを報告し、「これで日本中どこに行っても先生の絵を見ることができます」。自身は野見山暁治財団の事務長を務めており、「作品の調査・保管・鑑定を通し、先生の偉業を守っていく所存です」と誓った。
会場には102歳で仕上げた絶筆の油彩画(23年)が飾られた。80号の大作で、緑や黄の色面が張り合い、石炭に由来する黒い線が躍動する。力強い筆さばきは最後まで健在だった。
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東京のお別れの会は9月2日午後2時、東京都千代田区紀尾井町4の1のホテルニューオータニ「鶴の間(西)」で営まれる。平服での来場を呼びかけ、香典は辞退するとしている。
2023年8月7日 毎日新聞・東京夕刊 掲載