美術館やギャラリーでやってはいけないことの筆頭といえば、作品に手を触れることだろう。大阪のギャラリー「+1art」(大阪市中央区)で開催中の「手にとる展」は、そんな「絶対禁止」をあえてやる、ユニークな展覧会だ。日常にバーチャルが入り込み、コロナ禍ではリアルな接触が遠ざけられた。そんな今だからこそ、触るというシンプルな行為は、新鮮な発見に満ちている。
ギャラリー内には机と椅子が置かれており、鑑賞者はリストから作品をリクエストし、図書館のように棚から出してもらう。手袋着用が必要な作品もあるが、多くはじかに触れられる。「+1art」の野口ちとせさんは「普段は目を使って脳で解釈して作品を見るが、そのサイクルを少し変えて鑑賞してもらうことがあってもいいんじゃないかと思った」と話す。
出品を、若手からベテランまで9作家に依頼した。菊池和晃さんの「清浄のサイクル」は回転する8枚の金属板の上部に、小さなフィルターが付けられた作品。回すには相当な勢いで息を吹きかける必要があるが、このご時世、呼気を思い切り吐くのはためらわれる。作品の端正な見た目とは裏腹に、必死で息を吹きかける自分は滑稽(こっけい)で、「清浄」に到底間に合わなさそうなフィルターには脱力感が漂う。
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白石晃一さんの作品も、「今」をアイロニカルに浮かび上がらせる。ドアノブと大手回転ずしチェーンのしょうゆボトルをかたどった二つの彫刻の素材は、微生物の繁殖に適した寒天培地。前者はコロナ禍を経て、後者は投稿動画の炎上騒動を経て、以前のように何も考えず触れることはできなくなってしまった。触れた瞬間の何ともいえない湿った感触が、全身を駆け巡る。鑑賞者の菌、空気中の菌、あらゆる菌を吸収し、作品は刻々と変容する。
「今回、一番手に取るのがふさわしくない」(野口さん)のが、実在のモノを樹脂で複製し精巧に彩色を施した、大西伸明さんの作品だ。「egg」は卵形の樹脂の底を黄色く塗った上から殻のような白い塗装が施され、見る角度によって表情を変える。「oirukan」は使い込まれた本物の油缶に見えるが、下部は塗り残され、透明なまま。持ち上げてみたときの重量感は、「目で見て想像する」と「触る」が、全く異なる体験であることを教えてくれる。
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日常に潜む小さな音を作品にしてきた藤本由紀夫さんは、観客参加型、つまり触れられる作品を多く手がけてきた。「自分にとって作品に触れるというのは普通のこと」。今回は2段の引き出しに3㌢角の立方体を並べた「CUBE」を出品した。
「『百聞は一見にしかず』という言葉があるぐらい、人は何でも視覚で判断していると思っているが、本当は逆。ただ、言うだけでは誰も信じてくれないので、体験してもらうために作りました」。上の引き出しに並ぶのは、色や質感の違う八つの立方体。見ただけでは素材の見当が付かないものもあるが、手に取り、机に置いてみると、感触と生じる音で何なのかがわかる。
下の引き出しも同じ8種類の立方体なのだが、真っ黒に塗られていて、視覚は全く役に立たない。「何かわからないだけじゃなく、表面をカムフラージュされれば、だまされることもある」。再び手に取り、机に置いてみる。「音と感触は、だまされることがないでしょう」
さまざまなメディアに囲まれて生きる現代は便利だが、視覚と聴覚の体験が分離していると藤本さんは指摘する。「それがいけないわけじゃないけど、聴く・触れるという純粋な体験は、情報を得ようとしてばかりで忘れていたことを気付かせてくれる」。聴覚と触覚を意識して作られたはずの「CUBE」は、視覚的にも美しい。
出品作家はほかに、今井祝雄、笹岡敬、ニシジマ・アツシ、池田慎、山本紗佑里の各氏。コレクターらが提供したヤノベケンジさんら14作家の作品も含め、約50点を手に取ることができる。鑑賞は1時間ごとの予約制で、23~25日の午後1~7時(www.plus1art.jp)。
2023年6月19日 毎日新聞・東京夕刊 掲載