「後醍醐帝」(1912年、福田美術館蔵)

 中国の故事に取材した歴史画から神秘的な雰囲気を醸す動物画まで。日本画の巨匠、橋本関雪(1883~1945年)が描く世界は幅広く、そのどれもが卓越した技術と和漢の深い教養に基づく。生誕140年に合わせ、過去最大規模となる回顧展「橋本関雪―入神の技・非凡の画―」が「白沙村荘 橋本関雪記念館」(京都市左京区)など同市内の3館で開催されている。

 神戸に生まれた関雪は儒学者を父に持ち、幼い頃から中国の故事や詩歌に触れて育った。神戸で最初の師についた後、15歳で上京。20歳で竹内栖鳳に師事したが、後に一門を離れた。30代に入ると文展で連続入選し、帝展でも活躍。京都画壇の大家として確固たる地位を築いた。

 回顧展はこれまでも節目の年に開かれてきたが、京都の美術館での大規模展は今回が初めて。前・後期で3館計約150点が出品される。嵐山会場の福田美術館(同市右京区)と嵯峨嵐山文華館(同)で、10代の作品から文展入賞作、新南画などを展示。東山会場の関雪記念館では、全国各地の美術館が所蔵する代表作を中心に展示する。

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 「後醍醐帝」(1912年、福田美術館蔵)は、有名な歴史の一場面を劇的に捉えた作品。足利尊氏との争いに敗れ、今まさに京の都を去ろうとしている後醍醐天皇が左隻に、その様子を見つめる臣下らが右隻に描かれている。張り詰めた空気が伝わったのか、中央の白馬は興奮した様子。関雪記念館代表理事の橋本眞次さんは「西洋画をきちんと学んでいたから、関雪は群衆が描けた。さらに鑑賞者の目線を考え、右からだけでなく左から見ても成立するように描いている」と解説する。

「南国」(1914年、姫路市立美術館蔵)

 その生涯で60回以上、中国を旅した関雪。「南国」(14年、姫路市立美術館蔵)では初訪問で見た揚子江を、ダイナミックに描いた。金箔(きんぱく)で表現した帆、揚子江の波、舟をこぐ船員。山水画で親しんでいた中国とは違う、パワフルで鮮やかな景色や人々が関雪の心を捉えたのだろう。「線のリズムがそろい、躍動感が生まれている。明治・大正期の日本からは失われていた、プリミティブな自然の中で暮らす文化というものを関雪は求めていた」と眞次さん。南方の戦地を描いた晩年の作「防空壕(ごう)」(42年、東京国立近代美術館蔵)には、当時傾倒していたゴーギャンの影響も見える。

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 古木の枝に座るつがいの手長猿を描いた「玄猿」(33年、東京芸術大大学美術館蔵)は、深い精神性を感じさせる関雪の動物画の中でも傑作とされる作品。組んだ腕にあごを乗せ、伏し目がちにたたずむ雌とは対照的に、前を見つめる雄は腕を上げ、その指先はどこかを指し示しているように見える。眞次さんはそこに、システィーナ礼拝堂の天井画からの影響をみる。「関雪は『アダムの創造』の複製画を持ち帰っており、猿の指先にその表現を取り込んだ可能性が高い。東洋と西洋の表現が合致したようなうまい描き方だと思う」

「玄猿」(1933年、東京芸術大大学美術館蔵)

 四条派に学んだ日本画家ではあるが、好んで中国の故事を題材とし、西洋画の手法を自在に取り込んで、関雪は独自の画境に到達した。眞次さんは、生まれ育った神戸という街が関雪に与えた影響を指摘する。「日本も中国も西洋も、すべてが神戸にはあり、関雪にとってはどれも特別ではなかった」。しかし、時代は戦争へと向かい、中国文化は排斥の対象となっていく。「玄猿」が評判を呼んで以降、終戦の年の2月に急逝するまで、関雪は多くの動物画を描いた。背景には「需要があったというだけでなく、他のものが描けなくなったという事情もあっただろう」と眞次さんは推察する。

 7月3日まで。嵐山会場2館は5月30日、関雪記念館は同31日のみ休館。「防空壕」は福田美術館(075・863・0606)で31日から、「後醍醐帝」「南国」「玄猿」は関雪記念館(075・751・0446)で6月1日から展示される。

2023年5月29日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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