「油画縦覧所看板」(奥左)などが並ぶ「近代日本の視覚開化 明治」展=高橋咲子撮影

【ART】
明治の「視覚開化」伝える
故人をしのぶ肖像

文:高橋咲子(毎日新聞記者)

日本美術

近代美術

 江戸から明治にかけて、視覚イメージはどのように変わっていったのか。愛知県美術館で開催中の「近代日本の視覚開化 明治--呼応し合う西洋と日本のイメージ」展は、絵画や写真、印刷出版物、輸出工芸など多種多様な展示物から、明治の美術の一断面を見せようとする。

 すっきりとした今どきの展覧会とは、ちょっと違う。まず、出品数は300点を超える。解説の文字数も多い。最近の言葉で言えばハンドアウトの「明治展独案内」にも、ぎゅうぎゅうと文字が並ぶ。分かりやすく、手短に伝えようとはしない。

 明治の美術と言っても、「美術の概念も確定していない時代だから、これも美術なの?というものもある」(平瀬礼太副館長)。東京国立近代美術館の「重要文化財の秘密」展(14日で終了)に多数並んだ明治期の作品が、国からお墨付きを得た「美術」なら、「案内」いわく、今回展示される大半が「そのカテゴリーから漏れたモノ」だ。

 4月23日には、明治美術学会との共催でシンポジウムがあった。木下直之明治美術学会長・静岡県立美術館長は平瀬副館長との対談で、「気になったもの」として、厨子(ずし)のような額に入った渡辺幽香の油彩「西脇清一郎像」▽寺内信一が愛知・常滑で制作した陶製の裸婦像▽入場料をとって油絵を見せた「油画縦覧所」の看板--を挙げた。

渡辺幽香「西脇清一郎像」1881(明治14)年 油彩、漆製額 神奈川県立歴史博物館蔵

 本展では写真も含めて多くの肖像が展示される。肖像画のほとんどが陰影をつけたいかにも西洋風に見えるが、油彩ではなく絹地に従来の岩絵の具で描いたものまでさまざまだ。なかでも「西脇清一郎像」について、木下会長は「肖像がそれ以前からどのように扱われてきたかを示す貴重な例。遺族がまつっていたのだろう」と話す。

 新しい技術を駆使し、「あたかもそこにいるかのよう」に描かれた一方で、「絵画としての肖像画」とは別の受け止められ方があったと指摘する。「特定の人物の身代わり、つまり死者の代替物として生まれた。肖像を求めるのは明治になって始まったわけではないと(展示は)教えてくれる」

 展示品の半分が神奈川県立歴史博物館の所蔵。幕末明治を扱うとき、言及されることの多い「新開地」横浜に対し、名古屋の状況はどうだったのだろう。平瀬副館長は「美術の分野では江戸を濃厚に引きずっていた」と話す。徳川文化が花開いたこの地では、明治10、20年代くらいまで狩野派や土佐派などが続いていたという。

 宮下欽・守雄親子ら、名古屋で活躍した写真師についても展示する。宮下親子の写真は、親族の元などに多数残っていたことが最近分かったといい、複数の像を合成した「ハテナ写真」や磁器に肖像を転写した「磁器写真」などバラエティーに富んだ写真を見ることができる。

 シンポジウムでは、宮下欽ら写真師とハリストス正教会とのつながりや、写真術を研究した尾張徳川家・徳川慶勝についても言及があり、木下会長は「名古屋城下において新しい技術がどう受け止められていくのか、もっと探れるのではないか」と話していた。5月31日まで。

2023年5月15日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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