写真や映像は、時にある歴史的瞬間や時間を記録し、後世に伝えてきた。一方で、そこに写し出された事実が何なのかは、容易には判断できない。さらに現代では、フルCGによって写真のようなイメージは容易に作り出すことができ、事実を記録すること自体の意味も大きく変容し、複雑化している。
昨年5月から今年の1月まで米ロサンゼルスのリトル東京に位置する、全米日系人博物館で開催されていた、メディアアーティストの藤幡正樹による「BeHere/1942 日系アメリカ人強制収容についての新たな視点」展は、そのような現代における記録と記憶について、現代を生きるわれわれに問う試みだった。
1942~46年にアメリカで約12万人の日系アメリカ人が、自宅を捨て、強制収容所に送られたことはよく知られている。藤幡は、強制収容の際に撮影された、サンタフェ駅のプラットホームで荷物の上に座る少女の写真を出発点に、同じ立ち退きの瞬間を記録した膨大なアーカイブ写真を分析し、撮影場所である駅全体の空間を再現している。何のために撮影したのか、誰が撮影しているのか、なぜ一人でいるのかなどの観点を、写真のメタデータや使用された機材の特性を手がかりに、Volumetrics(3Dモデルの動画撮影)という技術によって映像化している。しかし、そこには、1枚の写真の背景にある、さまざまなドラマを想像し読み解こうとする藤幡の強いメッセージがある。また展覧会では、藤幡の作品とあわせて、報道写真家のドロシア・ラングとラッセル・リーによるこれまであまり知られていなかった写真をアーカイブのネガスキャンから拡大したり映像化したりしたものを展示し、歴史的事実を再構成しようとしている。見ることとはどういうことなのか、少女の瞳には何が映っているのかを考えていくことで、視覚メディア自体が持つ問題が浮かび上がっていく。
日系人博物館の前には、42年に立ち退きがあった、西本願寺がある。藤幡は、もう一つの作品で拡張現実(AR)を用いて、当時の人々を日本とアメリカの参加者に役者として演じてもらうことで、立ち退きの状況を再現している。観客は端末や自らのスマートフォンを空間にかざすと、現在の風景の中で、当時の人々と対面することができるのだ。「BeHere」は、当事者でなければ、理解が難しい厳しい歴史を、歴史の再現と現在を重ねあわせることで、かつて居たかもしれない人々を想像させ、かつ見る側に、「自分もそこにいたかもしれない」と思わせる。想像力に裏付けされた創造力の強度を感じるとともに、私たちが見ているイメージが何なのか、事実は何なのか、現代におけるメディアへの根源的な問いになっている。
※展覧会は終了しているが、ARの体験は現在でも可能である。
2023年2月12日 毎日新聞・東京朝刊 掲載