カデール・アティア「記憶を映して」、2016© Kader Attia Collection of the artist Courtesy of Collection MACVAL, France; Collection MAC Marseille, France; Galleria Continua; Galerie Krinzinger; Lehmann Maupin and Galerie Nagel Draxler; and Regen Projects

【ART!】
新しい芸術祭の出発

文:中村史子(なかむら・ふみこ)(愛知県美術館学芸員)

現代美術

 テーブルを前に腰掛ける男性。彼の前には円いパンが置かれている。もっとも、彼はそのパンを見ようとはしない。よくよく観察すると、机の上に衝立(ついたて)のようなものがありパンを横切っていると気づく。実はパンは半月形。つまり半分しかない。しかしながら、鏡が真ん中に立てられ、パンが鏡に映りこむため、あたかも円形であるかのように錯覚させられるのだ。

 国際芸術祭「あいち2022」が7月30日より開幕した。この画像は、「あいち2022」の出展アーティスト、カデール・アティアの作品「記憶を映して」からのワンシーンである。カデールの「記憶を映して」は、幻肢痛がテーマの映像作品だ。幻肢痛とは、事故や病気のために手足を失った人が、すでに存在しないはずの手足の痛みを感じる症状である。カデールは、外科医や精神病理の先生、さらにミュージシャン、ダンサーなど、さまざまな人にインタビューを重ね、本作を制作した。

 さらに本作は、一人一人が抱える、不在の手足の痛みから、多くの人々が共に抱えるトラウマへと思考を広げる。例えば、集団虐殺や長年にわたる差別は、その当事者だけでなく、それらをじかに体験していない人々にすら精神的な痛みをもたらす。さらに幻肢痛と同じように、こうした過去の辛(つら)い経験は、表面的には見えなくなり、語られなくても、事後を生きる個人とその集団を繰り返し苦しめる。

 幻肢痛、そしてトラウマ的な出来事がもたらす苦しみを、どのように和らげることができるのか。カデールは回復のヒントも本作で示す。いわく、幻肢痛に悩む患者は、自分の姿を鏡で眺め、体の一部が既にそこに無いという事実と向き合うことが重要なようだ。そしてこの治療法は、共同体が抱えるトラウマの解決策にも通じる。過去の辛い出来事にふたをしてしまうのは逆効果。反対に、それを真摯(しんし)に認識、顧みることで、次の一歩へと歩み出せる。

 「あいちトリエンナーレ」から名称を変え、新しい芸術祭として始まった「あいち2022」。今現在、どのような芸術祭が可能なのか、そして理想なのか、皆で考えた末に形となったものだ。自らの過去を顧みることと、新しく出発することは決して矛盾しない。拠(よ)って立つところを見つめる中で、新しい道筋は浮かび上がる。カデールの作品は、今回の芸術祭の方向性に共鳴する。そして、芸術祭に限らず、より普遍的なレベルで、私たちが矛盾と暴力、不断の困難の中で、いかにして生きていけるかを静かに、力強く指し示す。ぜひとも、会場で鑑賞してほしい。

 パンが半分しかないと気づき、十分嘆いたなら、さあ、新しいパンを焼こう。(なかむら・ふみこ=愛知県美術館学芸員・国際芸術祭あいち2022キュレーター)

 国際芸術祭「あいち2022」は、愛知芸術文化センターほか、一宮市、常滑市、有松地区(名古屋市)にて10月10日まで開催中。

2022年8月14日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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