中村大三郎「女人像」(1934年)の展示風景=京都市京セラ美術館で、中村史子氏提供

【ART!】所蔵作品のおいしい調理法

文:中村史子(なかむら・ふみこ)(愛知県美術館学芸員)

コレクション

 華やかな企画展に比べると、どうしても注目されにくい美術館の所蔵作品展。しかし、所蔵作品を意識的に取り上げ、新たな視点から発信しようという展示が、近年、多く行われている。その背景には、新型コロナウイルスの感染拡大下、遠方からの作品借用が物理的にも経済的にも難しくなったという事情がある。ただそれ以上に、美術館の根幹をなす収蔵作品を見直そうという考えが確かに広まりつつある。

 実見できた範囲でも、「ボイスオーバー 回って遊ぶ声」展(滋賀県立美術館)や「不在の観測」展(岐阜県美術館)、「コレクションとの対話:6つの部屋」展(京都市京セラ美術館)で、美術館の外から現代美術家が招かれ、各館の所蔵作品を主題とした新作を発表していた。既知の名品を斬新な解釈の下で読み解く展示、知られざる所蔵作品を深く掘り下げた展示、実作者ならではの経験と知識を活(い)かした展示など、どれも興味深い(いずれも会期終了)。

 これら現代美術家による再解釈や調査は、レシピの開発に似ている。お馴染(なじ)みの食材(既知の名作)に大胆なアレンジを加えたレシピ。あるいは食わず嫌い(古い時代の作品はちょっと……)を克服するレシピのようだ。無論、思わぬ食材(作品)との出会いを通じ料理人(美術家)自身の想像力も大きく飛躍しうる。

 一方で異彩を放っていたのは、「コレクションとの対話」展で実施された、往年の学芸員と所蔵作品との〝対話〟である。本展覧会の一角では、第二次世界大戦後に同美術館の再出発に携わった学芸員、加藤一雄(1905~80年)による批評文(加藤一雄『京都画壇周辺』に収録)と共に、所蔵作品を鑑賞するよう促される。加藤の文章が、なかなか時代がかって面白い。高い教養のうちに古き京都への憧憬(しょうけい)がにじむ。

 例えば、中村大三郎の日本画「女人像」に対し加藤は、彼女こそ「京美人」と述べ「彼女がわれわれにからみついてくるか、裏切る場合を想像して御覧(ごらん)なさい」と誘う。そして彼は「徐々に喰(くい)つくされるあの秋の末の蟋蟀(こおろぎ)」のようになる「われわれ」を想起すると言う。

 こんな文章、今の学芸員にはなかなか書けない。加藤の言葉には、過ぎ去りし昭和の文化人、紳士たちの趣がある。たっぷりのざらめで焼いた昔ながらの関西風すき焼きのような濃厚な味わいだ。加藤自身が当時失われつつあった昔日の京都に憧れていたが、彼の憧れは過日の昭和の文化への私たちのノスタルジーと二重写しになって浮かび上がる。

 しかし、加藤が思い描く「われわれ」に私自身はどうやら含まれないようだし、彼の視座に現代の私たちは留(とど)まっていられない。美術館に所蔵作品は保管され、過去から現在、未来に向けて送り届けられる。作品の中には様々(さまざま)な時代が折り畳まれている。そして時代が変化しても作品自体は変わらないからこそ、時代ごとの感性や価値観を、より一層はっきりと映し出すのだ。

2021年12月12日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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