村田喜代子・木下晋著『存在を抱く』
村田喜代子・木下晋著『存在を抱く』

 鉛筆画で人物を描く木下晋(すすむ)さんと、実感から抽象を紡ぐ作家の村田喜代子さん。以前から交流がある2人が語り合うからには、面白くないわけがない。創作と介護、夫・妻、性と生死……。3回にわたる対談を収めた『存在を抱く』が藤原書店から刊行された。

 木下さんは緻密な描写で対象の存在を写し取るように描き、村田さんは小説のなかで、「存在とは何か」を考え続けてきた。出会いのきっかけは、村田さんの絵画エッセー『偏愛ムラタ美術館』シリーズ。このなかで取り上げた木下さんの天井画には、自分が抱いてきた問いへの答えがあったのだと、村田さんは言う。エッセーを読んだ木下さんからも連絡し、付き合いが始まった。

 2人のせめぎ合いは、「一点を凝視するような」性格の村田さんがやや優勢か。「だんだん村田ペースにはまってきたんだけど。嫌だな。僕」とこぼす木下さん。「今日はもう村田喜代子を裸にせんと」と意気込んで話していくと、「ちがうって。すぐ、そう思いたがるのね」などと否定される。そんな起伏のあるやり取りが楽しい。

 生い立ちから、創作に至る過程、創作環境についてと、思考が深まっていく。作品は作者の意思だけから生まれるのではない。村田さんの場合は道具と創作。駆け出しのころはタイプライターを使っていて、道具が内容を規定する。身体や環境によって書くもの、描くものが選ばれていく。

 環境といえば、夫や妻との関係も語られる。木下さんは今、パーキンソン病を患う妻を描いている。創作と介護が分かちがたく結びつき、その先に死も見据える。とはいえ、きれいごとでは終わらせない。「人類で初めて、これをやるんだという気持ちで」いると話し、画家としての欲やエゴを隠さない。村田さんも「心底、正直なのね、あなたは」と返す。

 人間を書く(描く)といっても、対象と抱き合うようにして描く木下さんと、凝視したあと離れていく村田さんとではアプローチが異なる。そうした木下さんの仕事を「もしかしたら、私たちの文学でいう『私小説』じゃないか」という村田さんの指摘には、不意を打たれたような驚きがあった。

2023年8月28日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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